存在

泣いてしまった

 

 

CDから取り込んでいたはずの中島みゆきのアルバムたちが、いつの間にか私のApple Musicから消えていました。ハワイで入手するのは困難じゃないでしょうか。
とっても悲しいです。

 

こんなふうにブログを書けている時点で大丈夫なんですけど、昨日の夜から今日の夕方にかけてはちょっとしんどかったです。

ああ、もうだめだ、今日が多分いちばん最悪な日だな、でもこれを乗り越えたらもうこれ以上キツい日は来ないよね、と思いながらやり過ごしても、ちゃんとまた「もう無理だわ」って日は来ますね。怖いです。


昨日の授業の最後、リアクションペーパーを書くとき、授業で理解できていなかったことが多すぎて、書くにも何を書いたらいいかわからなくなってしまい、その瞬間に、少しずつ蓋をしてしまっていたいろんな不安の箱がバッと開かれて、涙が止まらなくなってしまいました。

Twitterにも書いてしまったのですが、それまで普通にいられた人が、リアぺを書く時間に急に泣き出していたら多分ちょっと驚くじゃないですか。
だから悟られたくなくて、ひっそりと、止まらぬ涙に対処しようとしながら、

「授業内で紹介された〇〇は△△に有用だと思いました。でもごめんなさい、授業よくわからなかったのでちょっと何書いていいかわからないです。何かあったら質問させてください」

とだけ書いてその場を去りました。

でも、そこから涙は止まらなくて、とりあえず家までのバスの時間をやりきるために、サークル関係でちょうどできた必要だったことをしながら気を紛らわし、家に帰って思いっきり泣きました。

 

別に泣きたかったわけではないですが、ちょっとしたトリガーがものすごく大きな不安を招き入れてしまったようです。

ここで言及した授業の先生に、「急に泣き出して困惑させたらごめんなさい」とメッセージしたら、その授業の先生から、「全然困惑してない。ただ自分は、君の頭の中でネガティブな声が大きくなりすぎてしまうことが心配。泣くことは何も問題ないよ、私が心配なのは、泣いているということ以上のことだから」と連絡がきて、すごく嬉しかったと同時に、「ああ、泣いているのは、死にたくてたまらないからなんだよな」と自覚もしちゃって、そこからは、ただ泣き続け、泣いても苦しい気持ちが思うようにも出て行かず、な時間を過ごしました。

 

ああ無理、このままだともうやばい、という時に、誰かに連絡しようと悩みに悩んで、でも「もう死にたい」って連絡ってやっぱりしづらいな、誰に言っていいのかな、私も言ったところで何かをしてほしいと思っているわけでもないし、誰かも言われても困るよな、とぐるぐるしてるうちに、もっとつらくなっちゃうから、なんとか頑張ってテキストで連絡できるホットラインに連絡しました。電話じゃうまく話せる自信なくて。

でも、テキストはテキストで、どこから何を説明したらいいのかわからなくて、私も頭がうまく回っていなかったせいで時間をとってしまい、テキストも速度求められるからつらいなあと思ってなんとか頑張って説明しているうちに、気づいたら予想していなかったところでテキスト打ち切られました。

こう書くとめちゃくちゃ急に打ち切られたような書き方になってしまうけど、そういうわけでもないです。ないですけど、予想していなかったところで打ち切られてしまったので、「あぁ、もう終わったんだ…」と思うとちょっとまたつらくなってしまいました。

本当、死にたいが強くなりすぎた時の対処法がいまだにわからないままです。

 

 

そんな夜を過ごしたあとの今日の朝は、案の定、目が腫れていて。
でも幸い、今日の朝の授業は大教室での講義だし誰も私の顔なんて見ないので、気が楽でした。

昼過ぎには目の腫れも引いてるだろうと期待していたけど、昼のカウンセリングで、カウンセラーさんからの第一声は「いつ泣いた?今日?」でした。ウケる。全然バレてる、Zoomでも。Zoomだからか?

「調子どう?」って聞かれて、「Okay.」って答えても、「本当にOkayか?」と言われ、全然Okayじゃなかったので、そこからまた泣いてしまいました。

先週は主に経済面のことの相談、今週は主に学業面での相談になり、「どうしてもいい成績とってハワイに残れるように頑張りたいんだ」「でも思うようにできない」と相談していると、

「私からしたらあなたがいい成績取れるかは正直どうでもいいことで、何よりも大事なことはあなたがちゃんと生きれること。そのことのためには成績とか、それは私は大事にしていない、まずは何よりsafetyなんだ」

と何度か言ってくれ、それを聞いてるうちに、「そんなに私の生き死にを最重要事項に置いてくれる人っているんだ…それを伝えてくれる人っているんだ…」と、ちょっと驚いたり。

 

カウンセラーさんは、私が今日あまりうまく話せない様子を見て、カウンセリングの時間を延長してくれ、かつ別の機関に、私が希死念慮が強くなりすぎた時にもっと気軽に連絡できたりサポートしてもらえるよう働きかけてくれました。

面倒くさいことだったろうし、私としても、そこまで時間や労力をかけてもらってしまって、正直本当に申し訳なくもあったけど、ここまでしてもらえたことで、「死にたいという思いが強くなりすぎることを対処してもらえるのか、誰かに相談していいのか」とも感じ始めるようになったのだと思います。

 

最初は、緊急用のシェルターに行く提案(医療従事者がいるシェルターで無料らしい)を、電話で連絡した機関からしてもらいました。
電話は、ケースワーカーが直接面談をするためのカウンセリングだったので、実際に受けるサービスを決定するためにケースワーカーさんが来てくれた時に面談をすると、緊急用のシェルターは、電話で話されていた提案とは違う実情らしく、「それは薦めない」と言われたので、緊急時にはそのケースワーカーさんに連絡をすることで一旦落ち着きました。

 

今まで一度だけしたことがある未遂の時も、その後も私は病院に自分から行かなかったし、病院に送られるだけの事態にも全くならなかったし、これまでの人生で何度もあった、強く強く死を意識した時も、どこにも助けを正式に求めずにここまで来てしまったから、逆に死が近く感じられた時に、誰かに何かをしてもらえる、あるいは助けを求めていいのだと思えずにいたような気がします。

でも、今回のカウンセラーさんがこのことを重く受け止めてくれて私が思っていた対応以上のことをしてくれたから、心身が危うい時のシェルターがあるということも知れたから(その選択肢が自分の見える範囲のところにきたから)、そうか、死を自分で選ぼうとすることってちゃんと重いことなんだ、とじんわりと実感しました。

 

ちょっとしたトリガーが生そのものを脅かすと思うと、これからもちょっと怖いです。

これまで学期をうまく終わらせることができないことが多かった私が、最後までやりきれることが少なかった私が、こちらでもまたそうなったらと、学期半分を終えてさらに恐怖とプレッシャーに苛まれている時に、それを打ち明けると、「それよりもまず生きることの方が大事だ」「何よりも死なないようにすること」を全力で考え、伝えてくれ、行動を共にしてくれたカウンセラーさんがいたから、これからも怖いけど、死にたくなったらちゃんと人に助けを求めるということはしてもいいのかもと少し思いはじめています。

 

「あなたが他の人に親切でいられるのに、あなたがあなた自身の最大の敵になり、あなた自身に親切にしないのは、あまりにアンフェアです」とカウンセラーさんから伝えられました。

そうか、アンフェアか。そうかも。

アンフェアなら是正しなきゃな、と思えた次第です。

 

 

最近ブログが悲しいものばかりです。そんな書いてもないですけど。

ハワイのいいことも、ちゃんと発信したいですね。もう少し、活力を取り戻せたら。

今は、大好きだったハワイを愛せる余裕もないです。

でも、そんな状態の私でも、ことあるごとに、大学も、この土地も、人も、素敵だな、と感じています。

 

今日は、授業の対話の中で、

「自分の中に問いが生まれると、問いがあることそのものが、自分の存在を肯定してくれるようで、すごく嬉しくて、でも同時に、問いが生まれた瞬間に、これを一人では抱えきれないとも感じて、とても寂しく、苦しみを感じる」

と言ったら、クラスメイトや先生たちにちゃんとわかってもらえて、「あぁ、存在しているなあ」と思いました。

今週のリーディング課題であるハイデガーの『存在と時間』第12節に苦しみながら、私は私の存在を、こうして確認しています。