ずいぶん遠くまで

秋風を感じながら、仕事を終えて会社から出た時、自分の心がとても穏やかであることを知った。

自分のことを好きでいる、というのはこういう状態のことを言うのではないかと思ったのだ。

 

退勤前、ちょっとなんとかしたいと思いながらバタついてうまく進まなかった仕事を無事ひと段落つけることができ、上司に確認もしてもらったら、それなりに悪くない反応ももらった。

ずっと焦っていたことに区切りがついたから、それも誰かから評価ももらえたのだから、いい心持ちになりやすいのは間違いなかった。

それに、まだ秋学期は始まっていないことも理由だろう。

10月からは今の仕事量に加えて週3日で通学と勉学、研究が始まるのだから、今こうして穏やかなのはまさに今だからだということもわかる。

今日は会社で、まだ知り合ったことのない人と知り合えたというのもある。

 

たくさんの「今日だから」「この瞬間だから」が寄り集まった穏やかさが生まれているのだということ、これが一時的なもので、またすぐ、こんな余裕はなくなるのだということをわかりながら、この気持ちに精一杯寄り添って、浸りたいと思った。

 

 

 

 

この2年、沖縄に行く機会が複数回あった。

研究や仕事、そして勉強を兼ねて訪れていた。

 

そのぶん、なかなかゆっくりとする時間を持てはしなくて、どこに行くにも「勉強!」という意識があったからか、それなりの自由時間があったとしても、どこかで気を張って沖縄にいた。

この週末に、この2年ではじめて仕事や研究に関係のない、旅行をした。

沖縄が背負わされた負を知れば知るほど、ここにいることを楽しんではいけないような気さえしていた。

それでも、旅行をした。

付き合っていた人とともに行くことを決めたからだった。

 

相手が、私が研究で行っている沖縄に、夏に一緒に行こうと言ってくれたことで決まった旅行だった。

 

とんでもなく久しぶりに沖縄を旅行先にして、行く前に、「ゆったり時間を過ごすために行きたい場所を全然知らないな」と実感した。

それでも、この2年、私が沖縄に行くといつも気にかけてくれる人がいたり、いろいろなところに連れて行ってくれたり、沖縄の人や土地や食べ物や文化や言葉を教えてくれる人たちと出会っていた私は、できる限り、一緒に行く恋人にも「今の私がいいと思っている場所」を紹介したいと思った。

相手に知ってほしいお店くらいはなんとなく定めたり、お世話になっている人たちに「海について教えてほしい」と聞いたりして、それとなく旅行の計画をした。

 

旅行の計画としてはきっと悪くはなかっただろうが、悪かったのはともに旅行をする恋人との関係だった。

 

旅行前から、喧嘩ばかりが増えて、共にいる時間に不穏な空気が漂うことが多かったわたしたちだったから、この沖縄の旅行も、3ヶ月も前から決まっていたというのに、きっと互いに、「やっぱりやめようかな」と思っていただろう。

 

でも、それを心から言い出す勇気がたぶんどちらにもなくて、空港に向かった。

どちらもわだかまりを抱えながら、やめにすることはしなかった。

 

宿について、つまらない喧嘩がまた始まって、そのあと、恋人からこの関係を終わりにしたいという話をされた。

当然だと思ったし、異論もなかった。

でも、そうやって相手に言われると、すぐにその言葉を受け入れられる余剰がなくて、冷静さを欠いて「じゃあ、明日から別行動ね」なんて、思ってもないことを言ってしまう。

そんな自分が嫌だった。最後まで嫌な自分だと思った。

 

でも、幸か不幸か、別れ話をしたのは1日目で、旅行はあと約3日も残っている。

別れるとしても、最後の3日を最悪な時間にしたくなかったし、私にとっては思い入れも強く、大好きな沖縄を悲しい思い出が残る場所にはしたくなかった。

そしてそれは向こうも同じように感じていたようで、「ちゃんと話そう」と決め、それからはずっと、車の中でだったり、宿などで話をし、元々の旅行の計画はそれなりに遂行した。

 

相手が抱く、私の嫌なところ、私にされて悲しかったことは、全部相手の言う通りに正しくて、私の非だと思った。

 

旅行中のある時、「私、あなたの言う通り、傷つくのが怖くて、恐れるあまりに、自分から壊してしまうんだけど、それ、今後どうしたらいいかな」と人生相談をふっかけたら、「あなたはずっと、実現しない理想を見て、相手や現実を見ていないんだ」と指摘された。

形而上的な理想を見ながら相手や今立ち現れている現象を見て、そうした理想なしに現実を見ることができていないのだという。横並びに人や物を見ない、と。

研究や勉強の志向にもそういうところが表れている、と言われ、なんだか自分が間違いだと言われているような気がしてしまって、ちょっとはムッとしたが、考えてみればその通りでしかなかった。

 

別れを切り出されてから気づくなんて遅すぎるにもほどがあると思うが、確かに私は相手をまったく見ていなかった自覚がある。

何か別のものを通さないと、相手を見ようともしていなかっただろう。

それが相手は苦しくて、その結果、私も苦しくて、喧嘩ばかり引き起こしたのだな、と理解した。

 

旅行の最初に別れ話を切り出された時は、「気持ちはわかるけど今言うなよ」と思ってしまったところも本音ではあるが、しかしタイミングとしては最善だったように思う。

過ちに気づいて、1人で後悔や反省をするだけではなく、その後、なるべく相手をきちんと見る努力を、理想を抜いた相手と向き合う努力を、最後にできる時間があった。

付き合ってから数ヶ月がたってはじめて、相手を心から知ろうと思える時間ができた。

 

 

たくさんの話をして、私たちの考えを互いに交換しあった3日目の夜、私の母親の話になった。

「あなたは色々言うけど、あなたの親はすごく愛があったと思う」と言われた。

 

「あなたの母親は、自分がつらい環境に立たされながらも、3人いる子どもたちはそれなりに立派になってる。

あなたも自分でつまづいてしまった部分はあるだろうけど、いい教育の環境を用意してもらってきた。

自分ができないことを、教育によって補完しようとしてくれていた。

俺が同じ状況でも絶対にできない。あなたは愛されていたんだよ」

と運転中の彼が言う。

 

助手席に座り続けながら、どうしようもなく彼の手を握りたくなった。

付き合った人で、私の母をそうやって言ってくれた人は初めてだった。

そして、これも恋人の言う通りだと私は思うのだった。

 

母娘の私たちは直接のコミュニケーションをとる時間は本当に少なかったし、恨みを抱くようなことだって当然ある。これは絶対にしてはいけないだろう、と思うようなことだってあった。

でも、本質的には、母だって余裕がなくてそうなってしまっているのはずっとどこかでわかっていたから、母を憎みきれない気持ちがずっとあること、そして、感情的に満たされなかったり苦しい思いをさせられても、常に恵まれた環境を用意してもらったことに引き裂かれる思いがあった。

生きてきた27年間ほとんど、それらの思いや感情をすべて自分で引き受けることができなかった。

 

 

悲しい思いに関してはなくなったわけでも忘れる決意をしたわけでもないものの、さまざまな状況や経験、人との出会いを通して、少しずつ母に対する憎悪の感情が融解してきている今のタイミングで、自分を近くで見ていた人が、私の母に対する愛を説いてくれた。

私は、「直接見える愛」にばかり固執していたから、彼の言うような愛に気づこうともしなかった。

 

 

 

私を愛してくれた人、気にかけてくれた人がたくさんいたことにもっと自覚的であろうと思ったのは、人との出会いによるものだった。

なんだか最近、本当にこんなことがあっていいのだろうか、と思うような出会いに恵まれているように思う。

 

自分が「素敵だ」「好きだ」と思う人たちと、程度はどうであれ同じように思ってくれる人と出会うことを繰り返していると、だんだんと、私を形成してくれた人や環境、ものを思わずにはいられなかった。

 

私はこれまで、私を嫌い、私を罰しようと思いすぎたせいか、自分を形作ってくれたものを悉く無視して、常に「自分の思いたいこと」を優先させてきた。

愛に気づかないというのは、自罰的であるが故に自分勝手であるということで、それは誰にとっても善たり得ないことをわかっていなくて、それをわからせてくれたのは、今「大好き」だと言える仕事に出会えたり、私以上に常に私に愛の言葉をかけてくれる人たちとの出会いや関係が積み重なったからだったと思う。

そして、それを理解する過程に、ともに沖縄に行った恋人の存在がいた。

 

 

 

 

私には今、目標がある。

親が、特に母親が、抑圧され続けたその悲しみをすべて私たちが背負わないために身を粉にして与えてくれた環境を無駄にすることなく、今通う大学を卒業し、今やれている大好きな仕事に邁進し続けることである。

自らでお金を稼ぎ、教育や生活のためにしてきた友人・知人への借金を返し、自分が生活する家をどこかに買う。

 

夢というよりも復讐に近い希望でもあった、家庭を持つことは今の自分にとってはそう大きな夢ではなくなった。

何よりも、自分が自分であること、自分に関わってくれた人、自分を愛してくれた人に対して恥ずかしくない自分でいられる努力をして、その自分を誇れるようになりたい。

 

家庭を持つこと、特に子どもを産むなどの選択で、これまで挙げた目標や思いが、中途半端になってしまうことを今は望みたくない。

状況が変われば、この思いも変わることがあるだろうが、結婚願望や、妊娠でも養子でも子どもを持つことになったら教育をどうしようか、などと今ない未来を妄想しがちだった自分が、その思いを手放せるようになったのは、現実に基づいた私をもっと認識したくなったからだと思う。

 

その目標がしっかりと自分の心に立ったのは、間違いなく、この沖縄旅行だった。

それも、誰かが「自分にはできない」と言うほどの愛を親にかけてもらったのだと言ってくれたからだった。

 

 

 

 

こんなにも自分を必要以上に罰さないでいられるのは、あるいは違う言葉で言うのならば、自分を受け入れているというのは、これほど心地がいいものなのだと、2023年の9月26日に思えた。

私はとんでもない罪を犯してきただろうし、過ちもたくさんある。

ほとんど修復されることのない兄との関係がその事実を物語っている。

それらが帳消しになるとか、そんなふうに思っているわけではない。

ただ、今まで私を存在させてくれた、見えない愛を受け入れたいという思いが、「私は今の私が好きだ」と思うきっかけになってくれた。

「自分を好き」なんて言える日が来るのか懐疑的であり、かつそんなことを思う自分を見ることに怯えていた私が、自分を好きだと思えたのは、受けた愛をなかったことにしたくないからだった。

 

 

「こんな人になりたい」「この人からもっと学びたい」と思わせてくれる人生の先輩が、今はこれまでの人生のいつよりもたくさんいて、そういう人の近くにいるだけで、エネルギーが湧いてくる。

そういう人たちを知っているから、「私は大丈夫、どうにかなる」と思えるようになってきた。

そして、そういう人たちに出会えるきっかけを間接的にでも直接的にでも作ってくれたのは、間違いなく私の親だった。

だから、どの出会いも、どの思いも、得られる力も、きちんと大切にしたい。

 

とんでもなくパワフルで、本当は愛情深い、行動派な母親に、心から「ありがとう」と言える自分になるために、そういう母親の素敵な部分こそ「似てるね」と誰かから言ってもらえるように。

たぶん、そう思える余裕がない時もたくさんあると思うけれど、今日ほど、自分の心を痛めつけずにいられたのはこれまでの人生でなかったから、この気持ちを知っている自分がいることをいつでも思い出したい。

 

 

今日は、絶縁した兄に子どもが生まれたそうだ。

 

そして同時に、今日は離れたところにいる親友の誕生日だった。

お誕生日おめでとう。

いつも私を応援してくれて、味方でいてくれて、自信を持っていいんだとずっと伝えてくれるあなたにも、この思いが届きますように。