私の希望は、楽しい思い出を増やすことよりも、苦しみを分け持ってもらえること

入院生活が始まるのと同時に、

まだ小さな人間を産み落とし、面倒みながら住んでいる友人たちから、時々その子どもたちの写真や動画が送られてくる。

 

死を決意した私に、

生が始まったばかりの人間たちの姿が送られてくるのは、なぜか感慨深いものがあった。

 

あぁ、こんなにもかわいい天使が

この大切な友人たちに舞い降りてきてくれて、本当にありがとうと思う。

 

そう思うと同時に、私たちも皆、あの小さな天使だったのだと思い出す。

 

 

昨夜親友の1人から送られた、その子の子どもの歌声があまりにかわいくて、朝起きてからも何度も聞いた。

やはり天使が人間として舞い降りたのだなと思った。

 

 

私は、親から、どんなに小さな頃私がかわいくない手のかかる子どもだったかを散々言われてきたので、自分だって天使だったのだと思えたことすらなかったけど、

きっと誰が認めなくても、私だって、あの小さな天使だったはずで、今は成長して、女神であるはずなのだ。

 

ごめんね、あの頃の小さな天使の私。

 

誰にも愛されないと思い込みすぎて

その後もずっと自分を奮い立たせてばかりで本当に苦労をかけたね。

本当にごめんね。

 

私だって、天使だったよね。

 

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こんなにも人に恵まれているのに、どうして私は死にたくてたまらないのだろう。

 

友人や恋人が生の基盤になってくれず、

恵まれているながらもこんなに過去に縛られてばかりなのだろうとずっと思っていた。

 

今だって思う。

 

確かに、友人らに支えられたことはたくさんある。

楽しい時間が、その思い出があることが支えになった、これからもきっとこういうことがある、と希望にして。

 

 

 

でも今回、入院するにまで至ってしまった、大きな大きな希死念慮が自分を包み込んでしまった時、もう、思い出など力にならないとさえ思ってしまった。

どうでもよかった。

 

これからも楽しい思い出をつくれるから、そのためにも生きようなんて思えなかった。

楽しいことがどれだけあろうと、今死ぬのに値すると思う気持ちからなかなか逃れられなかった。

 

 

楽しいことって何?

美味しいものを食べること?

友達と馬鹿みたいに笑うこと?

好きなスポーツをやること?

旅行に行って新しい何かに触れること?

新しい学びに触れること?

1人で思い切りやりたいことをやること?

 

 

きっと、そういうことなんだろうな、と思いながらも、やりたいことも、楽しい思いをこれ以上したいとも思えていなかった。

 

 

楽しい思い出を増やして、自分の過去を消し去ったら薄くできる自信もなかった。

 

もう私には何をする元気もなかった。

 

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主治医から入院を勧められ、

私のいつもそばにいてくれる3ヶ月前から関係を紡いでいる恋人も流石に危ういと思ってくれたのか入院を勧めてくれ、

病棟の看護師をしている友人にも助言を仰いだ。

 

自分1人であったら、それでも入院せずにいたと思う。

 

でも今回、入院するにあたり、恋人と親友が手を取り合って、リサーチしては電話をかけてくれるなどの労力をかけ、頑張ってくれた。

 

これで入院したくない、する意味がないなどというのは失礼だから、せめてもの恩義のつもりで、

ここまでやってくれる人が私にいるんだということを受け止めるつもりで、

彼女らが頑張ってくれたところに乗っかって、入院をした。

 

入院してすぐ、あんなにあった自殺の衝動が急にスーッと引いていったのを感じた。

なぜだろうと思った。

 

もちろんその一つには、ずっと苦しかった問題の一つが、入院の時期とほとんど重なる時期で解決の兆しを見せてきたからというのもある。

 

 

大学からサークルを共に支えてくれた、病棟勤務の友人は、精神科病棟への入院は

 

「負ってる責任や心理的負担から距離を置く環境に身を置いて休めること、持ち込めるものや行動範囲など自由は制限されるけど、自分を傷つけない安全が守られた場所」

 

にいることだと教えてくれた。

 

 

「今のあなたの心の重荷も、休んだら生活回らなくなってしまう今の現状も、今の現状変えるために毎日限界を超えて行動してる努力も、外から見える範囲だけでも1人の人間に担える量ではないと感じます。

 

人生を終わらせたいと感じるくらいの苦しさが生じて当然です。

 

もう十分すぎるくらいにがんばってきていると思います。

 

だからこそ、一旦全ての責任から強制的に離れる手段として精神科入院を使ってみてほしいなと思います。」

 

もちろん入院できたとて、ここにいれば全ての問題がなくなるわけでもない。

 

だけど、これまで大きな怪我や身体の病気もなく、

入院経験のなかった私が、

精神科とはいえ入院することになった、

その客観的な事実に、

「赦された」という感覚を覚えた。

 

 

天使だった小さな子どもが、ここまでずっと抱えてきた苦しみを、認めてもいいのだと思えた。

 

こうなってしまうにふさわしいくらいの重荷を背負ってしまったのだと思った。

 

私はいつも、「私は苦しかった」と書くと同時に、「でも、私も悪いことをした、常に善を判断したり行動できたわけでもなく、人に言えないような失敗を重ねたりもした」と、

ただ苦しいと言っていいだけの人間でないことは分かってますよ、というアピールもしてきた。

 

それが私でもある真実と、そう言わなければ赦されない気がした。

生きていてはいけなかった自分に、さらに追い打ちをかけながらも、でも本当に、苦しい思いをしてたことと、間違ってしまうような道を選んだ自分の行動は別で、それはただのアホだと言われることもあるだろう。

 

その、誰かに言われるかもしれない、

実際に最近言われてしまったその言葉を恐れ続けて、

私も私で悪い人間ですと、ずっと思ってきた。

 

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今の周りにいる友人たちの小さな天使たちに、

 

「これから先、悪を覚えても、悪を行動に移すことがあっても、あなたたちは天使だよ」

 

と私は言うだろうと思う。

そう思ってもいてほしい。

 

大切な人との関係がうまくいかなくて、自分の中の感情とぶつかって自分を大切にできなくて、

いろんなことをやってしまうことも、意識がないときからあるだろう。

人間皆。

 

それでもあなたは煌めいていて、

愛されるべき存在で、

私は愛しているし、

とてもかわいい小さな小さな天使で、

大きくなったら少しずつあなたたちは、

大きな天使に、神のような描かれ方をするそんな存在なのだと言うだろう。

 

クエーカーの考えに近く、しかし異なるのは、

神がいるとすれば存在そのものがあるときだ。

内なる神がいる。

だから、みんなの存在そのものが天使であり神なのだ。

 

ならば私には?

私にもかけてあげられる言葉は変えられただろう、と思えてくる。

 

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このブログをくまなく読んだことのあるような熱心な読者の方などいないだろうと思いつつ、

もしいらしたら、何度も出してる話で申し訳ないが、

私の人生は予期せぬ移動が本当に多かった。

 

そのつもりでそうしたわけではない移動で疲れ果てた人生に今のところなっていた。

寝床が落ち着かない人生は苦しいと思った。

 

 

旅行に行っている様子をSNSであげる友人らの画像や動画を見ては、

「みんなすごいなぁ、大変だと思わず旅が楽しいと思えるのかぁ」とだけ思っていた。

 

私もいつかああなれるといいな、と思いながら、

そもそも生きる基盤すら不安定になりゆく私には、

どんどんどんどんこの世の楽しみが見出せなくなってきてしまった。

 

 

やりたいこと、夢だと宣言していたものは、

私が簡単には掴みきれなかったもので、

まるで自分を救う投影をするような夢ばかりで時々嫌になる。

 

マイナスをゼロにすることばかりに興味が出る自分になった。

悔しさと憎しみばかりが原動力になってしまった。

 

 

中高生の頃、とても純粋に、広告を作りたいと、

自分でも思い出せば輝き燃えるほどの情熱を持っていた私のあれは、純粋に、夢だった。

 

あれから、病気を抱えて、

家族からも理解を得られず、

広告業界に落胆して、

落ちぶれていく私にさらに厳しくなる家族の目線。

 

そういうものが、私に「1人で戦わなくては」「結果を出さなければ」という思いにさせた。

 

1人で。

1人でやりきる。

 

苦しいことほど、本当のところは1人で乗り越える。

 

 

多分、お兄ちゃんに許されたかった、認められたかった。

それが何より一番だった。

 

道を外しすぎた私は30になってとうとう、「普通には生きていけないんだ」と白旗を上げた。

 

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Instagramで、ご年配の方々が、あるテーマに沿って自分の意見をホワイトボードに書いて載せていくアカウントがある。

 

 

最近見たものは、「今の自分が30代に戻るなら?」というテーマだった。

そこの多くに、「旅行に行く」とあった。

 

驚いてしまって、そんなに、みんな、旅行って…と思った。

 

正直なところ、旅行はたいてい億劫だ。

 

パッキング、宿や食べる場所のリサーチ、アンパッキング、全部が面倒くさい。

寝床すら落ち着かない私がどうして旅行する気力があろうかと思い自分を正当化した。

 

それも正しいだろう。

 

 

ただ、今回の入院を経て、

死ぬことについての衝動がやわらぎ、

生きることを少し前向きに考えられてくるようになったはいいものの、

私の理想の生活スタイルや、私の望むものがなにかわからなくなっている自分に怖くなった。

 

だいぶ前からそれに気づいていたけど、やっぱりそれはわからないままで。

 

楽しいことをしよう。

それは大事だ。

 

友人らが、退院したら一緒にやろうね、というようなことを挙げてくれている。

嬉しい。

楽しいことが待っている。

 

でも、正直それらが今後もずっと生きる力になってくれるのかは、どこかで疑念を持っていた。

 

 

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もうすぐで契約更新が迫る恋人とのやりとりで、旅行の話をした。

Instagramの投稿の話もした。

 

私は、

「興味なかった、旅行が。
もうたくさん移動したからいいよって…何度も言ってるけど本当にもう移動の一つ一つが面倒で。

 

それこそ入院とかもさ(笑)
準備やらパッキングやら、

大変じゃん帰ってきたあとも。

 

そういうの全部嫌で。

 

行かない方がいい、無理、疲れた、お金もかかるし、とかそういういろんな理由つけてて…

 

や、それも本音だったけど、

(この連休を使って旅行に行く友人や、そのインスタの投稿を見て)

さいきんはすこしきょうみでてきた。」と伝えた。

 

彼は、「パッキング俺手伝うからさ」と言った。

 

 

私はそこで分かってしまった。

 

あぁ、私が楽しいことだけで生きられないと思ったのは、全部1人で辛いこと、抱えてしまってたからか、本当の意味で頼ってなんかなかったからだ、と思った。

 

「そっか、全部1人でやってたから今まで辛かったな。

本当に、本当に辛かった。」

 

と私がこぼすと、

 

「一緒にやろうよ大変なことは。

苦手なこともめんどくさいことも一緒にやろう。」

と言ってくれた。

 

ああ、私は、苦しいことを一緒に抱えてくれたり知ってくれることを誰かに求めていたんだ、とわかった。

 

 

人種の問題、

宗教と家族の問題、

私の無茶苦茶な人生、

数々の性被害、

トラウマになるような家族からの否定、

教育熱の高い親特有の過干渉と無関心、

「履歴書が書けない」人生の親と事業の問題、

私の精神疾患たち…

 

そういうものを、友人と話したり、理解してもらいながら、理解までは求めすぎでも、知ってもらいながら、一緒に重荷を分け持ってくれること。

 

私の希望は、楽しいことを増やすことよりも、

今までの苦しみを知ってもらう人を増やしたり、

一緒に苦しみの荷下ろしをやってくれませんか、

手伝ってくれませんか、ということにある気がしている。

 

楽しいことは刹那的で、今の私には対症療法でしかない。

それも意味はなくはないけど、

これからも襲いかかるかもしれない希死念慮に太刀打ちできるほどの力になり得ない。

 

それよりも希死念慮を作り続けたそれらを、

生きるのが面倒だと思わせる続けたそれらを、

一緒に背負ってもらうことこそが私にとって生きる希望な気がしている。

 

 

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今回の入院は、特に親友と恋人が私がパッキング以外は何もしなくとも済むようにしてくれた。

本当に本当にありがたかった。

 

親友は、入院する少し前に家に来てくれて、

「苦しみを一緒に持たせてほしい」と泣きながら伝えてくれた。

 

じゃあ、それを期待してもいいかな。

 

もちろん、みんなのできる範囲でいいんだ。

だけど、楽しいことと同時に、

真面目な話を、たくさんしたい。

 

私がしたら、相手の話も聞きたい。

私がすることで、案外相手も、私が知らなかった「そうだったんだ、苦しかったね」と思うようなことを知れたりもする。

 

そうやって、本気で知り合うことを改めて友達とやっていきたいと思う。

 

それをみんなに手伝ってもらえたら、嬉しいなぁ。

 

 

 

 

 

 

 

ごめんね

私、どうしたらよかった?

 

もう、どうしようもなかったよね

 

 

 

私が死んだら、お兄ちゃんはきっと最後まで「人に迷惑かけて死んで、本当に最悪な妹だな」とか思うんだろうな(笑)

ありありと想像できる。

 

ごめんね。

 

死ぬ時くらい、迷惑かけさせて。

 

お葬式はやらないで、お墓も作らないでください。

 

 

その代わり友達には、私の死後、家に来てもらいたいな。

 

私の家の本棚とかから好きな本や、アルバムや、プリクラや、手紙を持って行ってほしいな。形見、みたいな感じです。

 

 

大好きな後輩が

 

「経験されてきたことをなくすことはできないけど、大好きな人たちとの楽しい記憶が少しでも上書きされないかな、何年何十年とかかるかもしれないけど、苦しみの色を薄めていけないかなと考えています。

だからどうか、ゆきさんのことを大好きな私たちにプレゼントをするつもりで、仕方ないなあって思いながらでもいいから、生きていて欲しいです。ゆきさんの幸せを願っている人が、ゆきさんが思っているよりもずっとたくさんいます。」

 

って言ってくれて。

 

他にもいろんな人が素敵なメッセージくれてさ、ああやっぱり、友達にだけは恵まれて、そこは、いい人生だったかもなって思ったよ。

 

私も、彼女が言ってくれたように、これまでを上書きできるようなそんな思い出や経験を増やしたいと思って生きてきたんだけどね。

 

 

もう心が搾り取られて、干からびちゃった感じがしてるんだ。

やりたいこともないの。

むしろ、よく頑張ったと思う、ここまで。

 

卒論が遺作みたいになるならうれしい。

出版物ができて死ねるなら本望だよ。

 

 

辛い過去や、不意に襲いかかる多くの傷を手当できる状態にもうなくて、脳が、さっき止まっちゃった。

あ、もう寿命だって思ってしまった。

 

もう、どんなことも塗り重ねていくことすらできない気がした。

ごめんね。

 

出会わせて、みんな、ごめんね。

 

男へ

男を見る目がないって散々言われてきたけど、

本当そうなんだけど、

本当に、たくさんの男の人たちに舐められてきたな。

どんなに軽かろうが、性被害が多すぎて、私、もう立ってられなくなってきたよ。

 

悔しいな。

約束守らないのも、

合意なきことをされるのも、

約束しても蔑ろにされるのも、

私の意思は無視されるのも、

お前らみんな、私がお前より若くて女だから

同じ人間扱いしてくれなかっただけだろ。

 

今ならわかるよ、みんな同じ。

私をはけ口としか見てなかった。

悔しいな、お前らに踏みにじられた私の人間性が。

 

それでさ、もう、私、本当に死にそうなところまできちゃった。

 

元々親からも社会からも蔑ろにされてきた存在だったからさ、

多くの男の人たちの私への扱いが、

より追い打ちをかけてきたよ。

 

生きてられないよ。

ねぇ。

ねぇ。

謝って。補償して。ねぇ。

 

 

疲れた

本当は休みたいです、とぽそっと言った。

先生は「あ、そうだったんだ」と言う。

私があまりにも働きたい、頑張りたい、というから、本当は休みたいのにただお金のために頑張ってるだけだと先生も知らなかったみたいだった。

 

もう何もかも忘れて、解決して、その状態で休みたいです。

今日はほとんどずっと横になってて、起き上がれなかった。

きっと明日もそうなんだろうな。

 

薬を飲むためにドカ食いして少し吐いてサプリを飲んで、きっと今日もおふろにはいれず寝てしまうのかな。

 

あれ?やばい

生きる理由がもうない、希望もない

 

なくても生きるんだと言われても無理かも

あれ、もうだってわかんなくなってきた

あれ、なんのためにここまで奔走したんだっけ

 

もうガチャガチャの人生だけど

サークル立ち上げてみたら留学してみたり

たくさん病気に打ちのめされたり

それでも卒論とか就活に力入れてみたり

もうなんだかんだ頑張りきったのでは?

 

もういいんじゃない?

マジで

 

これ以上もうやりたいことないよ

 

休んで良くなる気もしないんだよな

休んでどうするの?

社会にブランクつくって、また自分の首絞めて、

また頑張らなきゃって奔走するんだろ?

 

もう無理よそんなん

もう無理

多分もう逃れることができないから

何か実績になるようなものがあることが

自分が生きていてもいいと許される条件のような気がした。

 

哲学対話も、借金してまで学んだ。

足を運んで経験を増やした。

ポートフォリオにかける事は増えた。

 

最近は、それを見るたびに少しつらくなる。

私はこれがやりたかったんだろうか。

 

サークルを大学でつくった。

大事な友人や後輩に出会えた。

 

そこまで頑張らなければいけなかったんだろうか。

 

実績になるようなことがあるということが、

私がただ生きることを自分に許せなかった

その証明である気がして、

私は本当は何も頑張れなかったのに、

頑張れない中で頑張っては倒れて

経歴がめちゃくちゃになって

人から疑問を持たれる生き方になって、

またそのおかしさとの整合性を取るために頑張る。

 

そんな人生だった。

降りたい。

この人生から降りたい。

私から逃れたい

私が私を授かってしまったことから、私を引き受けなければいけないことからもう逃れたい。

 

いつまで経っても、

どんなに頑張っても、

心が削がられようなことが起きてはその対処をし、

その傷んだ心を少しでも癒すためと思って間違えた選択をし、

傷ばかり増やして、

対処しなければいけない問題が増えていき、

もがいてももがいても、問題がいつも立ち並ぶ。

 

生きていくのがつらい。

 

みんな、

優しい友人は、頑張りすぎないでと、

頑張らないでいいと言ってくれる。

 

でも私からしたら、みんなの頑張らないと

私の頑張らないは少し違くて。

 

私は、頑張らないをやると生活ができない。

立ち行かなくなる。

味方になってくれるような家族はいない、かといって結婚願望もなく誰かに養ってもらおうとも思っていない。

1人で生きなければばいけない。

 

 

私に傷を合わせた人たちに本当は、補償を求めたい。

そうやって初めて、何もしなくても休める環境ができたらいいのに。

 

あなたの受けてきた性被害はレイプだとある人が言ってくれた。

私もそう思う。

 

自尊心を限りなく削り続けた付き合っていた人たちにも、

17歳の私をグルーミングした人にも、

18歳の私にセクハラしたあの人にも、

私にセクハラを施した精神科医にも、

そしてまた別の精神科医にも、

そして断れなかった私の未熟さを責めた精神科医にも、

その他多くの場面でセクハラをしてきた色んな人たちにも、

親にも、

最近まだ解決していない立ち向かわねばならない問題の当事者たちにも、

皆に補償を求めたくなる。

 

 

 

今年の休職だって、心がいっぱいいっぱいになるには十分な理由がたくさんあった。

 

休職中にある法の手続きも始まって、

ごろんと何も考えず休めたわけではなかった。

 

生きるために、傷病手当金のために毎月申請をし、

障害者として生きる決意をして、いろんな書類に対応した。

休めるわけがなかった。

休めた感覚もないまま復職した。

 

復職後の最近の産業医面談では、

本来は就労不能な状態だと言われてしまった。

 

次の面談でも同じようならまた休職させると言われてしまった。

休むことにもプレッシャーがかかる。

生きなきゃ。

なんとか生活しなきゃ。

自活できたこの生活を維持しなきゃ。

 

この環境からも、本当は逃れたい。

もう、立ちはだかる問題に対応するのが疲れた。

どうして被害を受けた側ばかりが疲れなきゃいけないの。

どうしてよ。

 

 

いつ、楽になれるの?

みんなも、毎日こうやってつらい中、生きてるの?

ねぇ、みんなすごいね。

私、そろそろ心の線がもう千切れちゃいそう。

 

書くことで保ってるよ。

 

どんなに頑張っても、いつも対処すべき問題が現れて、それの対処するだけの人生。

私が、幼少期から背負わざるを得ない傷を背負ってきたせいで、それでいっぱいいっぱいで、他の大人のように発達できなかったからですか?

 

もうさ、やりたいこととか、ないよ。

今の環境から逃れるにも、やることが多くて、疲れちゃって、やっていけないよ。

 

昔はあったんだよ。やりたいこと。たくさん。

もっと自分を活かして生かしてあげたかったんだ。

やりたいこと、たくさんあったはずなんだ。

でも全部、今の死にたい気持ちを少しだけ、ほんの少しだけ薄くするためだけのただの一時的な対症療法。

もう、生きる力がどんどんなくなってきている気がするよ。

 

年々、生きる力が薄くなって、

もう、やっぱり、この自分を引き受けることの役目から降りたくなる。

 

私には私を背負えない。

 

悔しい、お前のせいで。でも、なにより自分のアホさに。

人のせいにしたりしたくないから自分で頑張る、

自分で再起できる道を探しているし、

今もその行動の最中にいると思ってる。

 

でも…

みんなには言えるような被害と、

みんなには言えないから1人で抱えるしかないことが一緒にあって、

なんなら後者は、本当に信じてた人、今や信じたかった人でしかないけど、その人からの裏切り、無責任さゆえの無視という感じがしてさ。

 

私は覚悟してたつもりだったけど、相手がそう終わらせてくるなら、それは違うじゃん、それで私だけが頑張るのは違うじゃんって。

だから悔しくなる。

こんなことで心がやられる自分が悔しい。

 

■

なんで、なんで私が闘わないといけないの。

どうして私なの。

 

どうして。

 

ねぇお兄ちゃん、どうしようもない妹だけど、

妹もいろんな被害受けてきたんだ、いろんな男の人たちから。

 

お兄ちゃんくらいには、

お兄ちゃんが毛嫌いするような、バカだなって、また嫌になるようなことした私かもしれないけど、

でも、相談したかった。

 

身近にいる男性として、味方でいてほしかった。

それがお兄ちゃんだったらよかった。

 

 

もう、闘うのも疲れたよ。

でもまだまだ闘い始めなんだ。

 

悔しいよ。

疲れたもん。

何も考えずに、なにもせずに、安心できる場所でぬくぬく休む時間が本当はほしいよ。

 

 

何で私が闘って、

何で何も事情知らない人から罵倒されて傷つけられて、

よく事情も知ろうとしないで話も聞かない人たちに傷つけられなきゃいけなかったの。

 

話した私も悪かったよ。

人を信頼しすぎるなってことだよね。

私も悪かったよ。

 

でも、大抵はみんなが悪いよ。

私じゃなかったはずだよ。

何で私が背負い込んでるの?

 

背負い込まないでいいはずのことばかりだった、

そう約束してもらったこともあった。

 

反故にされた。

無視された。

わざとやられた。

 

 

ねぇ、なんでよ。

何で私が闘うんだよ。

ねぇ、おかしいよ。

疲れたよ。

観れなくて、読めないから

父は、あんなに大好きだった映画を、もう観られないんだろうか。

 

電車の広告で、父の入る宗教の映画の予告編がやっていた。

私はすごく嫌な気持ちになったけど、父は観に行くんだろうか、と考えた。

たくさんお布施をしてきた人だから、もしかしたら映画館にも足を運ぶかもしれない。

 

あんな身体で?

あんな視力で?

 

それでも聴力が衰えていない限りは、行くのかもしれない。

それが教団のためというのなら、行くのかもしれない。

 

そんなことよりも、父がYouTubeばかり見るようになって、それは巷にあふれた、よくある高齢者になった親の嘆きのひとつとかわらないが、しかし私は、YouTubeばかり見ることになった、そのことよりも、映画をめっきり観なくなった父のことが悲しいと思ってしまう。

 

 

私は、父と会うともうパニックが出てしまうから、

彼が死ぬまで、意識がなくなった身体になるまで、

もう当面、いや、どちらかの死が訪れるまで、彼と相対することはできないだろう。

 

 

そんな、私があってコミュニケーションができるかどうかなんてどうでも良くて、

会えなくても、父は、あの父でいてほしかった。

家の機械が壊れた時には直してくれて、映画が好きで、人のマッサージがうまかった、あの父でいて欲しかった。

 

私は父が嫌いになったんじゃなくて、もうあの父に会えなくなったことが嫌だったんだ。

あの父を奪った宗教が、いや、あの父がハマらざるを得なかったのかもしれない、そんな父を作った社会のまなざしが、憎い。

 

 

映画好きのお父さんが好きだった。

漫画が好きなお父さんが、すごく誇らしかった。

 

もうきっと、観れないし、読まないだろう。

私の好きな父の姿よりも、父は、信仰を大事にしたかったのだから、私は何も言えない。

ただ、そのことが何よりもつらい。

 

まだ生きているのに、お互いがこの世にいるのに、もうコミュニケーションを取れなくなった大事な人。

生きあっているのに、コミュニケーションを取ることすら出来ないというのは、私にとって、とてもつらいこと。