入院生活が始まるのと同時に、
まだ小さな人間を産み落とし、面倒みながら住んでいる友人たちから、時々その子どもたちの写真や動画が送られてくる。
死を決意した私に、
生が始まったばかりの人間たちの姿が送られてくるのは、なぜか感慨深いものがあった。
あぁ、こんなにもかわいい天使が
この大切な友人たちに舞い降りてきてくれて、本当にありがとうと思う。
そう思うと同時に、私たちも皆、あの小さな天使だったのだと思い出す。
昨夜親友の1人から送られた、その子の子どもの歌声があまりにかわいくて、朝起きてからも何度も聞いた。
やはり天使が人間として舞い降りたのだなと思った。
私は、親から、どんなに小さな頃私がかわいくない手のかかる子どもだったかを散々言われてきたので、自分だって天使だったのだと思えたことすらなかったけど、
きっと誰が認めなくても、私だって、あの小さな天使だったはずで、今は成長して、女神であるはずなのだ。
ごめんね、あの頃の小さな天使の私。
誰にも愛されないと思い込みすぎて
その後もずっと自分を奮い立たせてばかりで本当に苦労をかけたね。
本当にごめんね。
私だって、天使だったよね。
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こんなにも人に恵まれているのに、どうして私は死にたくてたまらないのだろう。
友人や恋人が生の基盤になってくれず、
恵まれているながらもこんなに過去に縛られてばかりなのだろうとずっと思っていた。
今だって思う。
確かに、友人らに支えられたことはたくさんある。
楽しい時間が、その思い出があることが支えになった、これからもきっとこういうことがある、と希望にして。
でも今回、入院するにまで至ってしまった、大きな大きな希死念慮が自分を包み込んでしまった時、もう、思い出など力にならないとさえ思ってしまった。
どうでもよかった。
これからも楽しい思い出をつくれるから、そのためにも生きようなんて思えなかった。
楽しいことがどれだけあろうと、今死ぬのに値すると思う気持ちからなかなか逃れられなかった。
楽しいことって何?
美味しいものを食べること?
友達と馬鹿みたいに笑うこと?
好きなスポーツをやること?
旅行に行って新しい何かに触れること?
新しい学びに触れること?
1人で思い切りやりたいことをやること?
きっと、そういうことなんだろうな、と思いながらも、やりたいことも、楽しい思いをこれ以上したいとも思えていなかった。
楽しい思い出を増やして、自分の過去を消し去ったら薄くできる自信もなかった。
もう私には何をする元気もなかった。
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主治医から入院を勧められ、
私のいつもそばにいてくれる3ヶ月前から関係を紡いでいる恋人も流石に危ういと思ってくれたのか入院を勧めてくれ、
病棟の看護師をしている友人にも助言を仰いだ。
自分1人であったら、それでも入院せずにいたと思う。
でも今回、入院するにあたり、恋人と親友が手を取り合って、リサーチしては電話をかけてくれるなどの労力をかけ、頑張ってくれた。
これで入院したくない、する意味がないなどというのは失礼だから、せめてもの恩義のつもりで、
ここまでやってくれる人が私にいるんだということを受け止めるつもりで、
彼女らが頑張ってくれたところに乗っかって、入院をした。
入院してすぐ、あんなにあった自殺の衝動が急にスーッと引いていったのを感じた。
なぜだろうと思った。
もちろんその一つには、ずっと苦しかった問題の一つが、入院の時期とほとんど重なる時期で解決の兆しを見せてきたからというのもある。
大学からサークルを共に支えてくれた、病棟勤務の友人は、精神科病棟への入院は
「負ってる責任や心理的負担から距離を置く環境に身を置いて休めること、持ち込めるものや行動範囲など自由は制限されるけど、自分を傷つけない安全が守られた場所」
にいることだと教えてくれた。
「今のあなたの心の重荷も、休んだら生活回らなくなってしまう今の現状も、今の現状変えるために毎日限界を超えて行動してる努力も、外から見える範囲だけでも1人の人間に担える量ではないと感じます。
人生を終わらせたいと感じるくらいの苦しさが生じて当然です。
もう十分すぎるくらいにがんばってきていると思います。
だからこそ、一旦全ての責任から強制的に離れる手段として精神科入院を使ってみてほしいなと思います。」
もちろん入院できたとて、ここにいれば全ての問題がなくなるわけでもない。
だけど、これまで大きな怪我や身体の病気もなく、
入院経験のなかった私が、
精神科とはいえ入院することになった、
その客観的な事実に、
「赦された」という感覚を覚えた。
天使だった小さな子どもが、ここまでずっと抱えてきた苦しみを、認めてもいいのだと思えた。
こうなってしまうにふさわしいくらいの重荷を背負ってしまったのだと思った。
私はいつも、「私は苦しかった」と書くと同時に、「でも、私も悪いことをした、常に善を判断したり行動できたわけでもなく、人に言えないような失敗を重ねたりもした」と、
ただ苦しいと言っていいだけの人間でないことは分かってますよ、というアピールもしてきた。
それが私でもある真実と、そう言わなければ赦されない気がした。
生きていてはいけなかった自分に、さらに追い打ちをかけながらも、でも本当に、苦しい思いをしてたことと、間違ってしまうような道を選んだ自分の行動は別で、それはただのアホだと言われることもあるだろう。
その、誰かに言われるかもしれない、
実際に最近言われてしまったその言葉を恐れ続けて、
私も私で悪い人間ですと、ずっと思ってきた。
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今の周りにいる友人たちの小さな天使たちに、
「これから先、悪を覚えても、悪を行動に移すことがあっても、あなたたちは天使だよ」
と私は言うだろうと思う。
そう思ってもいてほしい。
大切な人との関係がうまくいかなくて、自分の中の感情とぶつかって自分を大切にできなくて、
いろんなことをやってしまうことも、意識がないときからあるだろう。
人間皆。
それでもあなたは煌めいていて、
愛されるべき存在で、
私は愛しているし、
とてもかわいい小さな小さな天使で、
大きくなったら少しずつあなたたちは、
大きな天使に、神のような描かれ方をするそんな存在なのだと言うだろう。
クエーカーの考えに近く、しかし異なるのは、
神がいるとすれば存在そのものがあるときだ。
内なる神がいる。
だから、みんなの存在そのものが天使であり神なのだ。
ならば私には?
私にもかけてあげられる言葉は変えられただろう、と思えてくる。
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このブログをくまなく読んだことのあるような熱心な読者の方などいないだろうと思いつつ、
もしいらしたら、何度も出してる話で申し訳ないが、
私の人生は予期せぬ移動が本当に多かった。
そのつもりでそうしたわけではない移動で疲れ果てた人生に今のところなっていた。
寝床が落ち着かない人生は苦しいと思った。
旅行に行っている様子をSNSであげる友人らの画像や動画を見ては、
「みんなすごいなぁ、大変だと思わず旅が楽しいと思えるのかぁ」とだけ思っていた。
私もいつかああなれるといいな、と思いながら、
そもそも生きる基盤すら不安定になりゆく私には、
どんどんどんどんこの世の楽しみが見出せなくなってきてしまった。
やりたいこと、夢だと宣言していたものは、
私が簡単には掴みきれなかったもので、
まるで自分を救う投影をするような夢ばかりで時々嫌になる。
マイナスをゼロにすることばかりに興味が出る自分になった。
悔しさと憎しみばかりが原動力になってしまった。
中高生の頃、とても純粋に、広告を作りたいと、
自分でも思い出せば輝き燃えるほどの情熱を持っていた私のあれは、純粋に、夢だった。
あれから、病気を抱えて、
家族からも理解を得られず、
広告業界に落胆して、
落ちぶれていく私にさらに厳しくなる家族の目線。
そういうものが、私に「1人で戦わなくては」「結果を出さなければ」という思いにさせた。
1人で。
1人でやりきる。
苦しいことほど、本当のところは1人で乗り越える。
多分、お兄ちゃんに許されたかった、認められたかった。
それが何より一番だった。
道を外しすぎた私は30になってとうとう、「普通には生きていけないんだ」と白旗を上げた。
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Instagramで、ご年配の方々が、あるテーマに沿って自分の意見をホワイトボードに書いて載せていくアカウントがある。
最近見たものは、「今の自分が30代に戻るなら?」というテーマだった。
そこの多くに、「旅行に行く」とあった。
驚いてしまって、そんなに、みんな、旅行って…と思った。
正直なところ、旅行はたいてい億劫だ。
パッキング、宿や食べる場所のリサーチ、アンパッキング、全部が面倒くさい。
寝床すら落ち着かない私がどうして旅行する気力があろうかと思い自分を正当化した。
それも正しいだろう。
ただ、今回の入院を経て、
死ぬことについての衝動がやわらぎ、
生きることを少し前向きに考えられてくるようになったはいいものの、
私の理想の生活スタイルや、私の望むものがなにかわからなくなっている自分に怖くなった。
だいぶ前からそれに気づいていたけど、やっぱりそれはわからないままで。
楽しいことをしよう。
それは大事だ。
友人らが、退院したら一緒にやろうね、というようなことを挙げてくれている。
嬉しい。
楽しいことが待っている。
でも、正直それらが今後もずっと生きる力になってくれるのかは、どこかで疑念を持っていた。
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もうすぐで契約更新が迫る恋人とのやりとりで、旅行の話をした。
Instagramの投稿の話もした。
私は、
「興味なかった、旅行が。
もうたくさん移動したからいいよって…何度も言ってるけど本当にもう移動の一つ一つが面倒で。
それこそ入院とかもさ(笑)
準備やらパッキングやら、
大変じゃん帰ってきたあとも。
そういうの全部嫌で。
行かない方がいい、無理、疲れた、お金もかかるし、とかそういういろんな理由つけてて…
や、それも本音だったけど、
(この連休を使って旅行に行く友人や、そのインスタの投稿を見て)
さいきんはすこしきょうみでてきた。」と伝えた。
彼は、「パッキング俺手伝うからさ」と言った。
私はそこで分かってしまった。
あぁ、私が楽しいことだけで生きられないと思ったのは、全部1人で辛いこと、抱えてしまってたからか、本当の意味で頼ってなんかなかったからだ、と思った。
「そっか、全部1人でやってたから今まで辛かったな。
本当に、本当に辛かった。」
と私がこぼすと、
「一緒にやろうよ大変なことは。
苦手なこともめんどくさいことも一緒にやろう。」
と言ってくれた。
ああ、私は、苦しいことを一緒に抱えてくれたり知ってくれることを誰かに求めていたんだ、とわかった。
人種の問題、
宗教と家族の問題、
私の無茶苦茶な人生、
数々の性被害、
トラウマになるような家族からの否定、
教育熱の高い親特有の過干渉と無関心、
「履歴書が書けない」人生の親と事業の問題、
私の精神疾患たち…
そういうものを、友人と話したり、理解してもらいながら、理解までは求めすぎでも、知ってもらいながら、一緒に重荷を分け持ってくれること。
私の希望は、楽しいことを増やすことよりも、
今までの苦しみを知ってもらう人を増やしたり、
一緒に苦しみの荷下ろしをやってくれませんか、
手伝ってくれませんか、ということにある気がしている。
楽しいことは刹那的で、今の私には対症療法でしかない。
それも意味はなくはないけど、
これからも襲いかかるかもしれない希死念慮に太刀打ちできるほどの力になり得ない。
それよりも希死念慮を作り続けたそれらを、
生きるのが面倒だと思わせる続けたそれらを、
一緒に背負ってもらうことこそが私にとって生きる希望な気がしている。
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今回の入院は、特に親友と恋人が私がパッキング以外は何もしなくとも済むようにしてくれた。
本当に本当にありがたかった。
親友は、入院する少し前に家に来てくれて、
「苦しみを一緒に持たせてほしい」と泣きながら伝えてくれた。
じゃあ、それを期待してもいいかな。
もちろん、みんなのできる範囲でいいんだ。
だけど、楽しいことと同時に、
真面目な話を、たくさんしたい。
私がしたら、相手の話も聞きたい。
私がすることで、案外相手も、私が知らなかった「そうだったんだ、苦しかったね」と思うようなことを知れたりもする。
そうやって、本気で知り合うことを改めて友達とやっていきたいと思う。
それをみんなに手伝ってもらえたら、嬉しいなぁ。