就活体験記 Vol.0

就活を始めた。

 

進学したい思いの方が前々から強かったこともあり、これまで就活を意識したことも、就活の情報収集をまともにしたこともなかったが、経済的な理由と、自分の人生プランの再考の末、今は進学よりも働くことにシフトしてみようと考えるに至り、焦って就活の波に乗ろうとしている。

 

 

20歳が終わろうとしていた2017年の年始。

「あ、なんか今私勉強したいかも。で、そのためには大学行った方がいいかも」と急に思い立った。世間が受験期に差し迫っている時期だった。

今やれば間に合うかもしれない、という思いを持ったまま、ふらっと入った書店で占い特集がされている年始の女性誌コーナーの前に立った。

特にこだわりもなく最初に手に取ったのはVOGUEで、巻末にあったスーザン・ミラーの年間占いを読んだ。

すると、「今年は旅をするとき。昔の人にとって、旅というものは学びそのものでした」みたいなようなことが書かれていた。受験を決意した。

 

ただ、受験まであと1ヶ月半もないような状況だったから、「今から古文や社会や数学を勉強し直すことはできない、英語と現代日本語だけで受けられるところを探そう」と思って、それを実行した受験になった。

時々、どうして今の大学に入ったのか、と誰かが聞いてくれるたびに、「今の自分でも受けられるところがここだったし、受かったのがここだけだった」と言う。

 

就活を始めてみて、大学受験のことをよく思い出していた。

まだ20代のうちの人生で、もう大学に7年在籍していることになる。その間ずっと通い詰めていたわけでもないのだが、しかし人生の4分の1を大学生という身分でいる。

大学研究を学部の卒論テーマにも定めたほど、大学への愛憎がある。

大学が大好きで、大嫌いなときも多々あるが、それほどの思いがある大学という場に行くと決めた時は、ただ時間がなくて、先に述べたような理由が私の7年間を決めるきっかけになった。

 

 

私が就活をしようと思ったタイミングは、周りの学生よりも多分遅くて、同じ時期に就活をしている弟の様子も見ている分、その遅れはよく理解している。

それでも、大学受験の時よりは、時間をかけながら考え、決めていくことができるようにも思う。相対的に動き出しが遅いことも承知の上で、しかしあの時よりも時間はあるし、と自分を安心させるためにも受験期を思い出しているのだろうと思う。

 

 

私は何なら続けられそうか、どんな環境で何をしたいのか。

人生でやり遂げたいことを考えた時に、どんな場でどういう生き方をすることが様々な文脈に資するだろうか、それなりに考えながら、就活を実際に進めてみて、企業や職業や働き方を少しずつ知っていこうとしている。

 

今までは、単位を取ること、学びたいことを学ぶこと、今できる仕事をしてみること、研究をすること、好きな活動に従事することなど、今その瞬間でできること/したいこと/しなければならないことをただ見つめながらやるというだけにとどまっていたように思うが、就活を意識した瞬間、ほとんど必須で、もっと長いスパンでものを考えることになった。

 

人生を進めていく感覚になっている。

これまでが進めていなかったというわけでもないけれど、意志と計画と行動すべてが未来や人生を据えたものになってきたのは、これまでにない感覚のものだった。

 

私の手元に残る人間関係をおおまかに二分するとすれば、18歳までにできた関係と、18歳以降にできた関係だろう。

18歳までにできた関係のほとんどは同学年である。

その友人知人らの大多数が今どこかで働いている。社会人生活が大体5年以上になっている。社会では中堅に位置づけられる立場になってきた。

そしてその人たちの多くが就活を体験したのも過去見ていたから、私は皆の後追いをしながら、「みんなこんなふうに人生を進めていたのか」と感嘆しながら就職活動に勤しんでいる。

 

 

 

「そういえば、私就活始めたの」と、就活経験者の友人に話すことが増えた。

大学のゼミで出会った仲のいい3人グループで久しぶりに夕食を共にしている時に、近況報告をしながら。「だから色々どんな行程を踏んでいたのかとか改めて聞きたい」と伝えた。

どちらかというとポジティブでさっぱりした一人の友人が、「就活は本当にキツかった。孤独で、とにかく自分との闘いだった」と振り返る。もう一人も頷きながら聞いている。

 

そっか、こんなに多才で聡明で自信も適切に持っているような友人でも、そういう思いをしたんだ、と私も少しシリアスに表情を変えて聞いていると、「で、JALパイロットの選考も受けたよ!」と続ける。

もう一人の友人が「就活をキッザニアだと思ってた?」と茶化したことが妙に面白くて、キッザニアしたいとも思った。

 

 

実際に、就活というもののを始めたおかげで、前よりも社会との接点や見えていなかった視点が増えた。素直に楽しい。

キッザニアに行けたことがなかったのが幼少期のやり残したことの一つだったから、就活をしながらキッザニア体験ができるなら嬉しいとも思う。

 

 

今はまだ始めたばかりで、でも、その経緯は書き残したいと思った。

 

昨年読んで魂に残り続けている本の一つが、船曳建夫の『大学のエスノグラフィティ』だった。

大学で行われていること、大学教員が行っていること、大学の動向を具に一人称視点で書き残した本で、私はそれを読んだ時に「ああ、こうやって、やっていることやそこで行われていることをきちんと記録していくことは、例えデータにならずとも価値があると思っていいのだ」と安心を覚えたのだった。

 

だから私も、これからの残り少ない大学生活や学部で行われる研究(人文研究)の経緯だけでなく、就活という不思議な社会経験を書き残していこうと思った。

時間と労力をかけて、自分や社会を考える機会をもらっても、喉元過ぎれば色々なことを忘れてしまいそうで、それが嫌だとも思うし、なんとなく行ってしまいそうな一つひとつが何を意味しているのか、こぼさないようにしてみたいと感じたからである。

 

 

3月から解禁、というイメージがあった就活。

夏に唯一行った、ある企業の会社説明会に参加したおかげで、その会社の新卒採用部署から送られたメールで、早期選考というものがあると知った。

いや、知っていたのだけど、もう秋くらいにそういうのを終えた人は、3月からしかないと思っていたのだ。

そのレベルで何も知らなかったからこそ、そのメールをきっかけになんとなく12月くらいから「企業の選考マイページに登録してみよう」と数社登録し始めたら、1月にも選考が始まるなどと知った。

今は慌てて人やAIの力を借りながらESを書いたりポートフォリオを作ってみたりしている。Webテストも一つ受けた。

エントリーの締め切りが迫っているものも多い。レポートや試験があるのに!と思いながら、必死で食らいついてみている。

 

こんなブログを書く暇があったら少しでもリサーチとESに取り組んだ方がいいくらい焦ってもいる。

だけど、これはこれで楽しくて、今後どうなるのかも楽しみで、私は就活を経てどうなっているのか、数ヶ月後の自分に答え合わせをされたい。

ということで、これから、今後の動向を少しずつ書きまとめることにした。

 

これでも今は思いだけしか書いていないので、12月の終わりから実際に何をしているのか、それをVol.1にして、次を書こう。ひとまず、今学期のレポートが終わったら。