壊れる前に

今につながっている、自分史の中で外せないある経過点について、最近出会ったばかりのある人に自己紹介がてら話していたら、もう何度も人に話してきて伝えなれていたと思っていた過去のことに、まだ自分が過敏に反応するのだなと気付かされる。

もうとっくに話し慣れたと思っていたのに、今も泣きそうになるんだ、と思った。

乗り越えるための語りを形成したことで、見過ごしていた感情や深掘りしなかった事実がまだあったのか、とわかった。

 

 

私が、過去の自分に言いたいことがあるとするならば、「とにかく寝ろ」ということと、「人を頼れ、壊れる前に甘えてくれ」ということだと思う。

求められることなんてそうそうないけど、もしも自分が自分より歳がしたのひとに助言なんて求められたら、大体これと同じようなことを言う。

でまあこういうことを言うと、大抵「なんだそんなこと」と相手が反応しづらい様子を見せることもわかってきた。

後者の方は、いってもわかることじゃないから、過去の自分にもしも今会えるなら、言うというよりもとにかくただ抱きしめて、言葉をききとるために一緒にいておしゃべりをしたいと思う。

自分の「普通」が失われてはじめて、壊れてからでは遅いと知ったし、それを知った時にはもう手遅れだった。

いまだに普通が取り戻せない。

 

 

最初の留学から、はじめて帰国した時のこと。

親に怒られるだろう、友達にも失望されるかもしれない、この決断を取ることによって、人生がものすごく険しいものになってしまうかもしれない、ということは、わかっているつもりだった。

それでも、あの時の自分は留学から離脱することしか考えられなかった。

友達や家族を失っても、自分の心身が、前の「普通」に戻ることの方が価値があると信じてしまった。

まだまだ分別がついていない年頃だったし、今よりもっと短絡的にしか物事を考えられなかった。病気のことになるとより一層そうなってしまう。

 

自分の生きている現実の世界がどんなものかをきちんと認識していなかったせいもあり、失うものがどんなに多くても、自分が元気になればまたきっとやり直せると信じ、「治療したい」という一心で、ひっそりと帰国した。

「治療」がどんなものか、何をしたら治療になるのかもわからなかったけど、この状態が少しでも変わって、「昔のように」なれるのならばなんでもいいと思ったし、言語が違う環境ではそれはますます難しいだろうからと、帰ればなんとかなるのでは、という期待をしていた。

 

ひっそりと帰国しても、どうせ親に怒られるのはわかっていたから、ちょっとでもその怒りに触れる時期を伸ばしたくて、1ヶ月だけあるところに居候させてもらったこともある。

でも、ただ休んでそこに居させてもらうのは居た堪れなくて、すぐに人のツテでコンビニのアルバイトを始めた。

 

無断でした帰国と居候がバレて、家に帰る。

覚悟していたはずなのに、想像以上に冷えた視線が向けられることに耐えられなかった。

予想を超える軋轢が家族と生まれてしまって、家族の誰も、味方になってくれなかったことに悲しくもなったし、きっとそうやって悲しんではいけないような、被害者意識を持ってはいけないような、それほどまでのことを私はしたのだという自分への失望も、家族からのまなざしを通して覚えた。

本当は、帰国してゆっくりやすみながら、今考えればまだ始まって間もなかった、一年経たずの闘病生活を癒すつもりでいたのに、家族から向けられた視線に逃走と闘争を重ねてしまい、売り言葉に買い言葉のような形で家を飛び出した。

家を出たら、働いてなんとか生きるしかないわけで、やすんだりゆっくりするという、思い描いていた「治療」は遠ざかったわけで、結局、あの時求めていたことを一度も実現できぬまま、あれから7年以上が経つ。

 

そうだ、私、やすんで、治療したくて帰国したのに、一度もそれができなかったな、と人に自分の一部を話しながら思った。

そうしたら、きっと蓋をしていた「苦しい、もうやめたい」という感情にまた気づき、「もう語り尽くした」と自ら思っていたストーリーによって勝手に抉られてしまった。

 

だからと言って、今やっていることをすべてやめたいとか、そんなことは思っていない。

走り出し、今自ら意識的に続けていることは、どれも間違いなくそのまま続けたいし、頑張りたいことでもある。

これは多分、せめて、家族が恥ずかしがらないでいてもらえる存在でいたいから。

もう修復できない関係はあるけど、これ以上嫌われたくないし、嫌われたままでいいけど、これ以上恥だと思われるのは私がつらいから、そのためなら、今は、休んでゆっくりするよりも、いろんなことを頑張れる気がするし、頑張らないといけない気もして、だからちゃんと自分の意志と選択で、頑張ることにした。

前より、甘ったれたことをいっていないと最近の自分を見て思う。

 

でも、あの時実現させたかったことが実現できずに、結局動き続けて、闘病も続き、そう簡単には「治療に専念」などできないことだけはわかったことが、その了解が、今になってもしんどいなと、不意に感じる時がある。

治療に専念したい、何もしないでちょっとゆっくりしたいと思う気持ちを、誰よりも自分が「甘ったれたこと」と認識してしまったせいなのだけど。でもきっと実際にそれをしたのは、家族に見捨てられないためだったのだろうけど。

 

お金なのか、人間関係なのか、地位や名誉なのか、物理的な安全地帯なのか、どこでもいいけど、きっとどこかに大きく安心ができないと、治療なんてそう簡単にはいかない。

精神疾患ってその人にとっての安心がある程度満たされないと改善に向かわないし、別に精神疾患なんてなくても人は生きているといろんなことが急に降りかかってきて、大変なことばかりで、みんなきっと、苦しいことや満たされなさをたくさん抱えて、それでも大したことないふりをして生きているんだろう。

大したことないふりなんてせずとも、もしもそんなことさえ思わずに生きていられているのならば、それはなんと素晴らしいことだろうと思う。

失敗や挫折はした方がいいという人もいるだろうけど、人間、どこで壊れるかなんてわからないものだから、壊れるくらいならない方がいいのだと私は思う。

 

「挫折したことある?」という質問を投げかけられて、「挫折…?」と首を傾げて考え込んだ元恋人や、「自分は挫折や失敗をしたことがない、そうなることを避けるために考えるしそうならない行動をするから」と言える親友を思い浮かべ、ちょっと羨ましくなる気持ち以上に、「ずっとこの人たちが、このままでいられますように、ずっと無風でいられますように」と願わずにはいられない。

 

 

今日、一緒にごはんを食べた会社の人に、「一緒に誰かと生活したいという気持ちが強いです。というか、誰かと一緒にごはんを食べる時間が大事で」といったら、「ゆきちゃんは、ごはんメイトがほしいんだね」と言われた。

そうそう、私の求める「結婚」って、「おしゃべりできるごはんメイトがいる生活」みたいなもんだな、と思った。

 

そんな話をしたあと、一人になって、そういう、心から求めている基盤がない今の生活がまた苦しくなる。

電車の窓にうつる自分を見ながら、「はやく安心したいね」と心で語りかけた。

「安心できないと、好きだったはずの本も漫画も読めないし、でも安心できたら、きっとまた、本や漫画も読めるようになるよね」と、向こうに見える私に言う。

 

誤った期待を持ってうまくいかなくなった帰国の時みたいに、今もきっと、読みの浅い希望を抱いている。

 

人間、そんなに簡単には変わらないね。

私は、たくさんの間違いを犯しても尚、甘い見通しを立ててしまっては、夢を見てしまうみたい。