「無風」への興味

私のやりたいことは、つくづく、無風だと思う。

 

大学で教育に関わるゼミに入っている私は、今後も長いこと、何かしらの形で教育に関わっていたいと思っている。

研究していこうと思っているテーマは、ざっくりといえば、人が自らの声を大切にできる場をつくること、そしてそうした場をつくるとはどういうことなのか、というようなものである。

具体的にそういう場を、「哲学対話」「哲学カフェ」「P4C(あるいはp4c:Philosophy for Children)」という概念・場を、実践したり分析していくことで研究ができたらと、今は思う。

 

私の興味としての教育も、哲学対話(場)も、私にとって、成功というものがあるとしたら、それは「無風」であることなような気がしている。

 

両者ともに、目に見えすぐに現れるような効果や「これをやれば間違いない」というようなものはそんなにない。
それがあったからとして、進研ゼミの漫画みたいなこともそうそう起きないだろう。

 

当然、テストや成績など、目的を絞ればわかりやすく効果が見えることもあるし、失敗や成功という概念が生まれることもあるだろうが、人に関わる以上、いつにおいてもそうわかりやすいことばかりではない。

わかりやすくないからこそ、もっと知りたい、もっと考えたいと思うのだけれど、その果てしなさに時々眩暈がすることも当然ある。

 

 

それでも、私が教育や哲学対話にこだわる理由があるとすれば、私がそれによって救われてしまった経験を有しているからに違いない。

そして同様に、それらによって、あるいはそれらに相反するような場において、大いに傷つけられたからでもある。

 

 

 

高校を卒業してから少し経ったある日、一人の恩師と話していると、「あなたがあんなにも学校を好きだった理由がわかった気がするよ」と言われた。

家に帰っても面白いことはなくて、むしろ、どうしても家がつらかった。

「だから学校にいる時間が好きだったんだね」と言われた時、「あぁ、私、とにかく家にいるのが嫌だったんだ」と、思春期に潜在的に感じ続けていた苦しさが、ようやく見えるところにのぼってきてくれた。

その時初めて、私にとって学校という場が、居場所として機能してくれていたのだと知った。

 

 

学校に傷つけられなかったわけではない。

受けてきた教育が私を救ってくれたとも言い難いし、級友に悩まなかったわけでもない。

 

でも、家を、家族を、愛せなかった私には、「家ではないどこか」が心の支えだった。

しんどいこともある通学時間や部活動の時間を含め、「家ではないどこかにいられる」時間は、それでも私が私を保てる時間になってくれた。

 

 

そしてまた、哲学対話というものを知ったとき、心の底から「この場を、高校生の時から知っていたら」と思ってしまった。

そんなのは今だから思うたらればで、あの時から知っていたからとして、その場を今のような感動とともに受け入れていたかはまったくわからない。

 

けれど、どこかで疑いながらも「そういうものだから」と自分自身を納得させてきた様々な教義を一旦置いておいて、その場その時間では一度疑う自分とともに考えていい場が10代の頃からあったら、やっぱり、もっと防ぐことのできた何かがあったんじゃないかと思わざるを得なかった。

疑ってもいい場、疑っても誰にも怒られることがなく、人格や能力を否定されたり傷つけられない場。

そうした場があることを、そしてそうした場を求め続け、自らもつくっていいことを知らなかった。

 

幼い私は、無知ゆえにそういう場を別のところに求め、その結果が今の自分の大きな後悔として残っている。

 

 

だから、もっと知っていたらと思う。

あの時の私や私のような引き裂かれを持つ誰かを、大いに抱きしめてあげたくて、そんな大人になりたくて、もっと今からでも知りたいと思う。

 

 

知らなかったことを、知れなかったことを悔やんでも仕方ない。

しかし、身近にいる力ある人や構造から「賢くあれよ」と求められた知ではなく、自らのための知を求めていいのだと、そしてその知を求める姿勢を、たとえ子どもであっても行使していいのだとわかっていたら、
もう少し、自己と、自己を取り巻くアイデンティティー形成に関係した他者との向き合い方は違ったのではないかと考えてしまう。

 

いやしかし、それがわかっているからとして私の中のすべての後悔が防げたかは知ることはできない。きっと別の何かがあったかもしれない。

そしてまた、それを誰かやどこかで検証することなど当然できるものではない。

 

何があれば良くて、何があったらダメだなんて、成功と失敗がすぐにわかることでないように、一生わかり得ないことだけれど、しかし、教育や対話、対話の場そのものが、「無風」を保ち続ける力になってくれることをどこかで私は信じている。

 

 

残念なことに、「よき」教育や、自らが尊重される場を通したとして、ある人の何かを豊かにし、何かを防いだかなど、可視化することはできない。

本人も、その周りも、そしてその教育や場の関係者であっても、なんらかの知によって失わずに済んだもの、豊かになったものをわかりやすい形で知れることなどない。

「そうかもしれない」と信じることはできても、完全にそうだと言えるものなどない。

わかりづらくて、数値化できなければ再現性もない(かもしれない)からこそ、「無風」なのだろう。

 

 

「AがあったからBになった」「Bが起きたのはAがあったから(もしくはなかったから)だ」と因果関係を結ぶのはいつも、何かが立ち現れ(立ち現れなかったという立ち現れ、も含め)てからだ。

立ち現れる悲劇を防ぐことが知によって叶っても、それが意識されることなどそうはない。

本当に防げたことは、起きなかったのだからわからない。意識されたものをこれ以上起きないようにと防ぐこととは違う。

 

 

でも、起きなかったことがわからないからいいのではなかろうか。

 

「普通」とか「日常」が、ただそのまま在る。

 

それこそが守られるべきものではないかと思う。

教育や、哲学対話は、それらを守るべきためにあっていい。

なんらかの見える目的ばかりを追うのではなくて、見えないで維持されることこそが、いつも意識しないで済む何かこそが、守られるという目的のために。

 

 

もちろん、風が吹いたゆえの成長もあるし、突然吹いた風がもたらすかけがえのないものもある。

風が起きないことを賛美したいわけではない。

 

ただ、起きないでよかったこと、起こしてはならないことが、人間の魂を長いこと蝕み、それがまた次世代に受け継がれてしまう負の継承に対して、私はいつも怒りと、途方もないやるせなさを感じる。

 

だから、防ぐべきことを、もう二度とあってはならないことを、再生産されては困る悲しみを、その先もずっと起きないようにする教育や場に、興味がある。

無風が守られていくための、無風だったのだとあとからわかるための、人に利する教育と場を、もっと知りたい。

 

 

私の興味がこうである以上、無風がその先にあることを期待して行為し続けるのは、自分がずっと「私のやっていることって、一体なんなんだろう」と思う不安定さを抱え続けることのような気もする。

 

でもきっと、そう思えること自体が、私のやりたいことの守るべき根幹なのだとしたら、私はもう少し、この不安定さに慣れなければいけない。