近頃、粗大ゴミを見ると少し憂鬱になる。
あと3ヶ月半ほどで、大きな引越しをしなければならない。
心待ちにしていた引越しとはいえ、家は引き払わねばならないし、内実は面倒な手続きばかりで、考えるだけで気が滅入る。
あと3ヶ月くらいしたら、その準備でてんやわんやな自分がいるだろう。
通勤・通学でも、旅行でも、数週間から数ヶ月の移転でも、移動があるたびに、なぜこんなに物が多いのかがわからなくなる。
この3ヶ月半のうちに、リビング、クローゼット、キッチン、バスルームと、それぞれにある家の物たちを整理したり、人にお譲りしたり、または処分していかなければならないなんて、膨大すぎて、考えるだけで何もしたくなくなってしまう。
考えると何もしたくなくなるような、少し先の未来にやるべきことは、「今は」考えないようにすればいいと言われることもあるが、私にはその方法もわからない。
あぁ、憂鬱。
前に占いで、「君は宿曜では翼宿だから、移動や海外に縁がある」と言われたそのとき、単に「未だ知らぬ多くの世界を見て回る人生にしたい」と思っていた私は、何も考えずに喜ばしいものだと感じたが、今思えば、移動が多いとするならば、その度につきまとう引越し作業に苦しむということでもあった。
移動は好きだが、物が多い私である。
ミニマリストにはなれる気がしない。
最近では、ぬいぐるみインフレが起こりつつあって、年に1-2匹増える程度だったぬいぐるみたちが、年に3-4匹増えつつある。目が合い、言葉が聞こえてくると、その瞬間に会話をして家族に迎え入れてしまう。
さて、この子たちはどうしたらいい。
今日は寒くて、雨が降っていたから、憂鬱な気分が増してしまっただろうか。
それでも、一日の中で、愛おしい時間はきちんとあった。
研究会を終えたあと、先生の研究室で軽く相談をさせてもらった時は、晴れ晴れした心で学校をあとにした。
長らくオンラインだったから、先生の研究室にはいるのは初めてだった。
初めて入った先生の研究室は、本だらけの空間で、たいそう癒された。
どの本が、というわけでもなく、この本たちすべてが、先生そのものだった。
その人の積み重ねてきたものの一部が、空間として立ち現れていたあの部屋。たったの30分。
その人の血肉となった本に囲まれた空間で、信頼し尊敬している先生と話すあの短い時間は、相談内容とは裏腹にとても穏やかなものであった。
心地よくて、ふわふわと軽くなっていくのに地に足はついている。
愛惜しゆく記憶となるだろう。
しかし、あの本の多さ。学校の研究室。
先生も、多くの本をここに移動させてきたのかと思うと、そしていつか、それらはまたどこかにいくのかもしれないと思うと、それは少し、ゾッとする。
愛おしい物たちがあるということは、それらを愛し続け、身に寄せておくために必要な労力もかかるということであり、そのことに気づくまでにこんなにも時間がかかった。持ち家が欲しい。