ハワイにいた時に住んでいた部屋があまりに蒸し暑くて、それでもエアコンの設置が難しそうだったから、そんな部屋に本を置いたままにするのはあまりいいことではないと判断し、友達の研究室に避難させてもらっていた。

その最中に帰国が決まり、帰国の間際に本たちを段ボールに入れ、持ち帰る準備をしたものの、その段ボールは、わけあって帰国の直前に持ち帰れなくなってしまった。だから、私が集めてきた本たちは、今、私の手元にはない。

 

久しぶりに家族と会って、家族といる時間ができたからこそ、改めて自分の孤独を家の中で感じた。そんな時に頼りたくなるのは本だったと気づいた。携帯電話だけでは埋めきれない心の隙を埋めてくれるような言葉がほしかった。

今いる場所に自分の本がなくて、急に寂しくなった。

ただ一冊だけ、帰国してから手に入れた本があった。

 

 

数日前、留学前に荷物を預けさせてもらっていた友人の家に、荷物を取りに行った。

その友人は、私が留学している間に恋人ができていた。彼の新しい恋人は、私が荷物を置かせてもらっていることを「なんかマーキングしているみたいだね」と言っていたそうだった。ちょっとショックだった。マーキング女にされてしまっていることと、男の恋人の家に女友達の荷物が置いてあったらそりゃあ嫌だよなあ、嫌なことしちゃってるなあ、という申し訳なさとで。

マーキングしてしまっていてごめん。

他にも何人かの友人(同性もいます)の家に、留学前から本やら荷物を置かせてもらっているので、全員の顔が浮かんで、「マーキングしているのか私…」と思ってしまった。ごめん。

と思いつつも、その友人には、掃除機もソファもいくつかの食器等もあげてしまったので、マーキングの収拾がつかない。

 

「まあ、マーキング返しってことで、色々もらったりもしたし、今こんなかから一冊本あげるよ」と、冗談なのか本気なのかわからない調子で言葉を続けた彼に甘えて、友人の本棚にあった谷川俊太郎の『ひとり暮らし』をもらって帰ってきた。

 

これまでせっせと集めてきた大事な本たちがないからこそ、手元にある唯一の本が、小さなおまもりになった日。今いる家の中ですこし悲しい思いを抱えてしまった今日だからこそ。

活字は孤独にちゃんと効く。

 

 

ことばをもつことのできた人の心は、この世ならぬものまでを日常の中にまざまざと描き出す。人間は他者のからだ・心を媒介にして、自らの死を超えて宇宙に恋することができる。

 

 

宇宙に恋するように、生きたいものです。最後だけ敬体。