重み

あまりの罪の多さに自分を抱えきれなくなる感覚にまた襲われる。

 

帰宅し、身体を洗いながら、自分の身体を愛することができる日が来るんだろうか、もう一生来ないのかも知れない、と悲観的な思いで包まれてしまった。

常についてまわる身体を、忌々しく思いながら20代を過ごしてしまった。

20代が続く残りの数年で、ちょっとはこの身体でもいいと思える地点がくる気配を未だ感じられず、それは悲しいことだよな、と感じているが、それをどうポジティブなものに変えられるのか、未だにわからないでいる。

悲観的な思いに陥った瞬間、呪いの言葉がまた反芻する。

何気なくいった、誰かがその時感じていたどうしようもない事実が、何年経っても突き刺さったまま取れない。

 

 

魔法を欲しては、罪を犯した。

 

若さというべきか、いや、幼さゆえの勢いで、魔法は存在しないのだと今や了解したその魔法が、どこかに存在するのではないかと、強い意志ではなくもはや無心で信じたがった昔の私は、あまり人に言えないようなことに手を出した。取り返しのつかないことをしたのだと認めるにも時間がかかった。

 

 

 

過去から続く自分の歴史が抱えきれなくなると、人が恋しくなる。

人に言えないようなことをしているのに、そんな間違いを犯したのに、その責任はきっと、反省し自らでそれを背負い続けることでしか負えないのに、赦しか救いかのために、人を求めようとしてしまう。

別の皮膚の空気に触れている感覚がある場で、罪を誰かに言ってしまいたくなる。

だめだよ、自分で抱えるんだよ、自分で管理しないと、と自分を戒める。

 

 

 

 

精神疾患を患った友人と話しながら、「私は病気になってよかったって思う」という言葉がその人から出てきた時、一瞬聞こえないふりをしたかった。

その言葉を否定したいわけじゃない。私もそう思うことが何度もあった。

でも、病気を起点に犯した間違いたちは、嫌われたくなかった家族にどんどん嫌われていく理由をつくってしまった。

 

まだその関係は修復されていない。

 

 

未だに、家族と仲良くしたかったことを思って泣いてしまう。
 
ちゃんと自分からも壊したのに。
仲良くしたかったも何も、ずっと仲良くできないのは私なのに。
 
マルチバースの私は仲のいい家族と楽しく話せていることもあるのかもしれない。それならいいな、と思う。
 
 
 
 
27歳になった2ヶ月前、「もうちゃんと大人なんだな、私」とふと思った。
今まで被害者でいられただけのことも、そうじゃいけないんだと思うようになった。なれたのかもしれない。
 
ただ、どこまで被害で、どこから責任を負っていくのかが曖昧なまま、それを考えたりそこに向き合うことをきちんとしないまま、大人にならなければという意識だけが強くなった。それはただ自責の念を強めるだけなのに。

 

 

 

 

 

「そういえば、ハワイはどうだった?」と、帰国から3ヶ月が経っても聞かれた。

「楽しかったんだけど、すごくつらかった」と私は言っていたらしい。

 

「すごい矛盾していることを同時に言うんだね」と笑った友人を目の前にして、口から出た言葉を記憶の中でなぞり、そんなことを言ったのか、と確認する。

友人はそのまま笑いながら、「なんで?何が?」と問い、私は何がつらかったのか改めて言葉にしようとした。

 

 

日本を出たいと思った。

なんとかうまくやれていると思った家族の一人とさえうまくいかなくなって、人の力を借りてでも、生まれた土地を離れたい、新しい居場所をつくりたいと思った。

 

逃げることを正当な理由にして包んでくれるのが海外への留学だと思ったから、どうにか人に頼み込んで、一時的に逃げることに成功した。逃げるだけが目的ではないが、言ってしまうのなら、愛を求めて逃げた。

 

向き合うよりも、ただただ逃げたかった。関係から逃げたいというよりは、もう何もかもうまくいかなくなってしまった事実から逃げたかった。

逃げることはできても、事実が消えるわけではない。

 

逃げた先でできた人のつながりは、予想以上に愛おしいもので、そういう喜びはあった。

それでも、何も考えずに体重を預けられるような人や場所や関係があるのだと実感として信じられていない自分が、どこに行こうが苦しかった。

人の力を借りて逃げたからこそ地盤は常に不安定で、離れた土地にいつまでいられるかもわからないという焦燥感が、さらに「早くここで休める場所をつくらなければ」「ここにいてもいいと言ってもらえる場所や関係をどこかにつくらなければ」という気持ちを加速させる。

だからか、ずっとつらかった。

あそこで休めたことなど、本当に一度たりともなかった。留学は当然、そういうものなのだろうけれど。

 

しかし、ずっとつらい思いをしていたのは、向き合うよりも先に逃げることを選択してしまった罰だったのかもしれない。

 

 

 

そこから先は、諦めたのだと思う。

生を続けるという当然のことを了承することは、私には諦めでしかなかった。

 

もう、魔法を探し続けるのはやめて、自分で自分を背負うしかないのだと、ようやく気づいた頃には26歳が終わろうとしていた。きっと、良い諦めだった。

 

 

死にたいと思うことは圧倒的に減った。

生きるしかないのだと思えるようになった。

 

ただしそれは、過去の罪も死ねば洗い流せる、と思っていたそんな未熟さを引き受けることでもあった。

生き続けるということは、洗い流せもせず、バカみたいなことをしたあの時の自分を、自分が願っていたものを全部壊して自分から取り上げていた自分を、引責するということなのだ。

それはどうしようもなくしんどいことで、それから逃げないということは本当に大変なことなのだとようやく知った。

 

過去の罪がのしかかって、抱えきれぬ重みにつぶされそうになって、救いのために人を求めようとする気持ちを抑え、ただ文章にだけは、少し頼らせてくれと思ってしまった。今だけ、軽くしたがった。眠りたかったから。

 

 

 

何を求め、何で救われようとするのかさえ、他者の許しがなければ決められないと思っている精神性こそ甘く勝手なのだと囁かれる。

 

責任というものはあまりに重い。

 

許しを求める気持ちは、のしかかる力から逃げる気持ちと同じであるか。

罪がなければ、無邪気に人を求めても許されただろうか。

誰が許しを決めるのだろうか。

傷つくのが怖くて、許されないことを知る前に、一人で抱えようとしているから、結果的に抱えられなくなるんだろうか。

それとも本当に許されてはいけないのだろうか。

 

求めたい。

温もりの中で、罪を背負わせてください。