ある日ある日に思ったことたち

いろんな日のいろんな思いを詰め合わせたので文体がごちゃ混ぜです

 

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■終わりますように

 

喜びの瞬間が、日常に勝てなくなってきた。

この先どんないいことがあろうと、それがずっと続くわけもないんだし、そのいいことを享受するがために生を続けるのはしんどすぎる、と思うのが人生というものなんだろうか。

 

ああ、何か重大な病気にでもなってくれればいいのに、と19の時に願いすぎたからか摂食障害になったので、もうそんな願い方はしたくないけれど、生をがんばらなくてもいい理由が病気しかないような気がして(生きたくて仕方がないまま重大な病気を持っている人もいるのに本当に申し訳ないのだけど)、はやくこの生が勝手に終わりに近づきますように、とやはり願ってしまう。

 

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■来学期

 

アドバイザー面談がありました。

来学期取る授業を学科の先生に相談し、先生からアドバイスしてもらう機会で、全学生面談必須です。とはいえ一人15分の枠で、長いこと面談をして、というものではないですが。

面談しながら、卒業要件のためにはこれとこれとこれを来学期取れるといいね、と言われ、もう無理だよ、と思いながらも「そうですね、それらを取りたいです」とその場の私を誤魔化していきました。

こうやって、どんどん進んでいっちゃうんだな。

私はまだ進む準備ができていないのに。

 

でも、必死にしがみつかないとまたどんどん人と距離ができていく気がして、それも怖いです。私本当に何やってるんだろう。

その時々で必死こいて生きてきたはずだけど業績みたいなのもこれをやったと人に堂々と見せられるものもない。だから何やってるんだろうって自分も思うし、家族からもそう思われて疎まれています。仕方ねえ。

 

本音を言うと、勉強はしたいし大学という場くらいしか私は自分が生きられないと思っているので大学にはいたいですが、もう卒業はしたくないです。疲れたしどうでもいい。

学士号取りたいと言っているけど、本当のところは別にいらないです。でも院には行きたいから、そのためにはほとんど取らなくちゃいけないので取りたいと言ってるだけです。

学校に居続けるためにはお金が必要なのでお金さえあればいいんですけど、お金がなくなったらもう居られないので、さて生き方から考えないとなあ。どうしようなあ。

 

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■選ば(べ)なかった家族って、そんなにいいものなのか?

 

時々、人から、「家族と会えなくて寂しい」とか、「家族と話せない日があってつらい」とか、そういうことを聞く。その度に新鮮な思いで、「マジかよ」という感想が出る。

シンプルに驚くし、そういう感情を持つって、どういう関係性や歴史が紡がれてきたんだろうと、興味も湧く。

多分どこかではその言葉を聞くと羨ましいと思っているとは思う。

でももうその羨ましさは、家族にどうこうしてほしいとか、家族のためにどうこう頑張りたいという思いとは切り離されている。

まったく知らない人生を不思議に思うような、たとえば、「芸能人の人生ってどういうものなんだろう。あんなにたくさんの人から推されるってどういう感じなんだろう。まあ関係ないけど」と思うような感じ。

 

これまでも、そしてこれからもずっと抱え続けるだろう私の寂しさの根源は、きっと家族との関係から生まれたはずだろうけど、だから選べなかった家族との関係をどうこうしたいとかは今は本当にないし期待も何もしてないけど、そういうことを言える人の人生が本当に本当に気になる。どういうことなんだ?

 

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■それは文化的につくられたので

 

カウンセリングの時に、

「もう本当に限界なんだけど、人と一緒にいたり、人がいる場だと思うと、自分も意図していないのに元気な自分が出せちゃう。そうなることを望んではいないんです。でも人といるとそうなれてしまう。そういう自分が出てしまうことにも疲れて、そんな自分がいることに、より一層、壊れそうになる。元気に見せられる自分と、今の自分の精神的状態が離れすぎていて、私の意図しない私が出てくることがすごくしんどいです」

と言ったら、「なんでそうなるかわかる?」と聞かれました。

なんででしょう。わかりません、と言うと、「それは、文化的につくられたあなたです」とキッパリ言われました。

「韓国や日本では、自分がどんな状態であろうと『大丈夫』って言えることが美徳とされてしまうから、そのあなたは、ちゃんと文化的につくられただけです。今までそうやってきただけです」と。

そう言われて初めて、「ああ、この自分が、本当にありたい自分ではないと認めていいのだ」と思えた。

反射的に出てきてしまう自分に疲れていた。反射的に出るということは、それも私の一部だと思わなければいけない気がしていた。

でもそうでもないと思っていいらしい。

 

人生で初めて鬱になった時でも、友達や後輩が訪ねてくれた時に、すこし元気な自分を振る舞えたことがあった。

そんな自分が出てくると、私は本当に鬱なんだろうか、とその度に悩んだし、自分はすべてを欺いている気がした。

 

今でもそれはそう。

人といる時、人と話すとき、あまりに自分の精神的状態と圧倒的に違う自分が出てくる。こんなんだから、いざ誰かに相談したり話を聞いてほしいと言おうとしたって、「いやいや元気だったじゃん」と言われる気がして、ずっと抑え込んだ。自分も、自分はただ病気を使って言い訳をしたり甘えているだけなんじゃないかと思い続けた。

 

でも、一緒にいるその人のせいでも私のせいでもない、文化的・社会的なもの、と言われると、ようやく免責された気がする。

文化的な性質をインストールしただけで、それがうまくできただけで、これは私がありたい姿ではないのだと思っていい。

 

じゃあありたい姿はと言われると、今の正直な気持ちは、3週間くらい引きこもりたい。大好きなゲームを飽きるほどして、人に会うことを気にせず、たくさん泣いて、寝て、食べたくなったら食べて。そんな生活を、3週間だけでいいからさせてほしい。

でも、シェアハウスだと、そうもいかないね。引きこもったら、何か言われちゃうもんね。それが、難しいね。全部、疲れちゃう。

 

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■すぐ揺らぐ

 

そっか、無理に誰かの前では元気な姿でいようとしなくていいんだな、とおもった矢先、ある授業で、クラスメイトから「いつもあなたは笑顔でポジティブにこの授業を楽しんでいるから、その姿に私もすごく影響されているよ」と言ってもらえてしまった。

 

え〜…そんなこと言ってもらえるんだ…やっぱり笑顔でいたり元気でいることも大事なんだな、と思ってしまった。たとえ自分が元気なくても。

何を優先させるべきかわからない。

 

高3の時、人目がとても怖くなった。誰にも自分を見られたくないと思った。

元気を出せないから、ずっとうつむいちゃうから。元気になれない私に接してくれる人がいると、申し訳なくて、みんなの意識から消えたかった。

もう誰にも、気を遣われたくなかった。

気を遣わせてしまう人間であるということを意識するのが怖かった。

でも、気を遣わせたくもないし、でも自分も無理をしたくないから、やっぱり引きこもりたい。

 

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■カウンセリングふたたび

 

「今のあなたは、やすむ時。これ以上何かを頑張れる時期じゃない、今のあなたは。」と言われた。


確かに、もうこんなには、頑張れない。この学期をもう二度と続けたくない。2年もこれをやるなんてもう無理だよと今から思っている。やっぱ卒業無理かしら。

 

生そのものがしんどいのは事実で、人生とはそういうものだと言われても、そんなことは知らない、もう先をも考えたくないくらい、しんどい。でも、そうはいっても、いろいろとあって、今すぐ日本には帰れない。

とりあえず、今は、来期の取る単位数を減らして休養する時間をもう少し取ろうかな、という計画だけ立ててます。また、歩みは遅くなるけれど。早く安定したい。安心したい。

不安定が今ずっと続いているのは、自分のこれまでの過去のツケが回ってきてるのだろうから、自分でどうにかするしかないのだけれど。疲れたなあ。

 

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■人と視覚

 

人のいるところにはいたい。でも見知らぬ人々の数多いまなざしに触れたくはない。たとえ一瞬で、それが意図的に私に向けられたまなざしでなくとも、向けられたくない。

でもずっと孤独がいいわけでもない。

 

コンタクトやメガネをしなければ、私はその人がどこを向いて何をしているかもよく見えない世界を見ていられるし、その状態で外に出るのはある種、楽ではあるんだけど、まあそうなると私自身もやるべきことに支障が出るので難しい。

自分の手の届く範囲くらいははっきりと見えるくらいの近視だったらなあ。

 

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■身体のぬくもりは感じたい

 

そういう意味で、人のいるところにはいたい。

多くの人がいるところだと、やっぱり、自分がそうありたくないと思っていても気張っちゃうから、わがままを言うと、元気がなくてもそれは不満だったり不機嫌になっているわけでもないと知ってもらえている気の置けない人と一緒にいたい。

できれば、身体に触れたいし、触れられたい。それは必ずしも性的な接触を意味してはいないが、長めのハグがしたくてもそうもできる関係はこっちにはいない。

 

2ヶ月ほど前に別れた恋人、いつかまあ別れるのだろうと途中からずっと思っていたし、別れては戻ってを繰り返しながらも本当の別れになるのを止めたかったのは、彼の前では、元気でないところも受け入れてもらえてたから、そうあれる関係性や場をなくすのは自分にとってとても大きなダメージになることがわかっていたから。自分のことばかりですね、私。

今、そういう人との関係を失って、苦しさの行き場もなくなってしまって、身体が軽くて軽くて耐えられない。重みがなくて、生きている心地もしない。

友達の菜月ちゃんが、最近「他人から触れられないと、自分の輪郭が分からなくなる」と言ってくれたのだけど、まさにその感覚。的確すぎて、この言葉が頭から抜けない。輪郭がなくなっていっている感覚がある。

 

安心して触れられる人って関係性の構築ありきではあるのだけど、もうその構築さえ今はできる気力もないし、だから正直、身体の関係だけでも、と誰かを求めてしまうところがある。ハグとか、安心できる関係は時間がかかるからって損得がはっきりしている身体の関係だけでも、と望む時点で不健康だなあとは思うんですけど。

何か関係を誰かと築くとしても、シリアスな関係が一番自分にとって精神衛生上もいいのはわかっているけど、今の心身がもうそれどころじゃないので、お互いがそれでいいならそれでいいじゃん、と。でもマッチングアプリとかもめんどくさい。

 

求めるものはたくさんあっても、それを満たす手段はそうそう落っこちてはないよね。

求めるものがたくさんある自分がいけないのか。求める前に与えよって、この場合どういうことですか。わかりません。

 

求める自分がおかしくていけないのなら、もう生きること自体が合っていないんだと思います。

ただこの瞬間こっちを見ていて

夜になりつつある

ハワイ大学から見える夕方の空

 

明日はまたテストがあるのに、復習しようと右手側にノートを開きながら講義の補助教材ビデオを見返しても、これまでやってきた宿題のプリントたちを見ても、頭が熱くなって、うまく言い表せぬような身体の調子になって、何もできない

こんなに苦しくて悔しいなんてね

 

悔しい

 

 

先生、会いたいです

中高自体の友人にも、ēthosの友人にも、SFCの友人にも、沖縄で出会った人たちにも、大切ないろんな人たちに会いたいです

 

 

どうか、あなたの腕の中で思いきり涙を流させてくれませんか

どうか

存在

泣いてしまった

 

 

CDから取り込んでいたはずの中島みゆきのアルバムたちが、いつの間にか私のApple Musicから消えていました。ハワイで入手するのは困難じゃないでしょうか。
とっても悲しいです。

 

こんなふうにブログを書けている時点で大丈夫なんですけど、昨日の夜から今日の夕方にかけてはちょっとしんどかったです。

ああ、もうだめだ、今日が多分いちばん最悪な日だな、でもこれを乗り越えたらもうこれ以上キツい日は来ないよね、と思いながらやり過ごしても、ちゃんとまた「もう無理だわ」って日は来ますね。怖いです。


昨日の授業の最後、リアクションペーパーを書くとき、授業で理解できていなかったことが多すぎて、書くにも何を書いたらいいかわからなくなってしまい、その瞬間に、少しずつ蓋をしてしまっていたいろんな不安の箱がバッと開かれて、涙が止まらなくなってしまいました。

Twitterにも書いてしまったのですが、それまで普通にいられた人が、リアぺを書く時間に急に泣き出していたら多分ちょっと驚くじゃないですか。
だから悟られたくなくて、ひっそりと、止まらぬ涙に対処しようとしながら、

「授業内で紹介された〇〇は△△に有用だと思いました。でもごめんなさい、授業よくわからなかったのでちょっと何書いていいかわからないです。何かあったら質問させてください」

とだけ書いてその場を去りました。

でも、そこから涙は止まらなくて、とりあえず家までのバスの時間をやりきるために、サークル関係でちょうどできた必要だったことをしながら気を紛らわし、家に帰って思いっきり泣きました。

 

別に泣きたかったわけではないですが、ちょっとしたトリガーがものすごく大きな不安を招き入れてしまったようです。

ここで言及した授業の先生に、「急に泣き出して困惑させたらごめんなさい」とメッセージしたら、その授業の先生から、「全然困惑してない。ただ自分は、君の頭の中でネガティブな声が大きくなりすぎてしまうことが心配。泣くことは何も問題ないよ、私が心配なのは、泣いているということ以上のことだから」と連絡がきて、すごく嬉しかったと同時に、「ああ、泣いているのは、死にたくてたまらないからなんだよな」と自覚もしちゃって、そこからは、ただ泣き続け、泣いても苦しい気持ちが思うようにも出て行かず、な時間を過ごしました。

 

ああ無理、このままだともうやばい、という時に、誰かに連絡しようと悩みに悩んで、でも「もう死にたい」って連絡ってやっぱりしづらいな、誰に言っていいのかな、私も言ったところで何かをしてほしいと思っているわけでもないし、誰かも言われても困るよな、とぐるぐるしてるうちに、もっとつらくなっちゃうから、なんとか頑張ってテキストで連絡できるホットラインに連絡しました。電話じゃうまく話せる自信なくて。

でも、テキストはテキストで、どこから何を説明したらいいのかわからなくて、私も頭がうまく回っていなかったせいで時間をとってしまい、テキストも速度求められるからつらいなあと思ってなんとか頑張って説明しているうちに、気づいたら予想していなかったところでテキスト打ち切られました。

こう書くとめちゃくちゃ急に打ち切られたような書き方になってしまうけど、そういうわけでもないです。ないですけど、予想していなかったところで打ち切られてしまったので、「あぁ、もう終わったんだ…」と思うとちょっとまたつらくなってしまいました。

本当、死にたいが強くなりすぎた時の対処法がいまだにわからないままです。

 

 

そんな夜を過ごしたあとの今日の朝は、案の定、目が腫れていて。
でも幸い、今日の朝の授業は大教室での講義だし誰も私の顔なんて見ないので、気が楽でした。

昼過ぎには目の腫れも引いてるだろうと期待していたけど、昼のカウンセリングで、カウンセラーさんからの第一声は「いつ泣いた?今日?」でした。ウケる。全然バレてる、Zoomでも。Zoomだからか?

「調子どう?」って聞かれて、「Okay.」って答えても、「本当にOkayか?」と言われ、全然Okayじゃなかったので、そこからまた泣いてしまいました。

先週は主に経済面のことの相談、今週は主に学業面での相談になり、「どうしてもいい成績とってハワイに残れるように頑張りたいんだ」「でも思うようにできない」と相談していると、

「私からしたらあなたがいい成績取れるかは正直どうでもいいことで、何よりも大事なことはあなたがちゃんと生きれること。そのことのためには成績とか、それは私は大事にしていない、まずは何よりsafetyなんだ」

と何度か言ってくれ、それを聞いてるうちに、「そんなに私の生き死にを最重要事項に置いてくれる人っているんだ…それを伝えてくれる人っているんだ…」と、ちょっと驚いたり。

 

カウンセラーさんは、私が今日あまりうまく話せない様子を見て、カウンセリングの時間を延長してくれ、かつ別の機関に、私が希死念慮が強くなりすぎた時にもっと気軽に連絡できたりサポートしてもらえるよう働きかけてくれました。

面倒くさいことだったろうし、私としても、そこまで時間や労力をかけてもらってしまって、正直本当に申し訳なくもあったけど、ここまでしてもらえたことで、「死にたいという思いが強くなりすぎることを対処してもらえるのか、誰かに相談していいのか」とも感じ始めるようになったのだと思います。

 

最初は、緊急用のシェルターに行く提案(医療従事者がいるシェルターで無料らしい)を、電話で連絡した機関からしてもらいました。
電話は、ケースワーカーが直接面談をするためのカウンセリングだったので、実際に受けるサービスを決定するためにケースワーカーさんが来てくれた時に面談をすると、緊急用のシェルターは、電話で話されていた提案とは違う実情らしく、「それは薦めない」と言われたので、緊急時にはそのケースワーカーさんに連絡をすることで一旦落ち着きました。

 

今まで一度だけしたことがある未遂の時も、その後も私は病院に自分から行かなかったし、病院に送られるだけの事態にも全くならなかったし、これまでの人生で何度もあった、強く強く死を意識した時も、どこにも助けを正式に求めずにここまで来てしまったから、逆に死が近く感じられた時に、誰かに何かをしてもらえる、あるいは助けを求めていいのだと思えずにいたような気がします。

でも、今回のカウンセラーさんがこのことを重く受け止めてくれて私が思っていた対応以上のことをしてくれたから、心身が危うい時のシェルターがあるということも知れたから(その選択肢が自分の見える範囲のところにきたから)、そうか、死を自分で選ぼうとすることってちゃんと重いことなんだ、とじんわりと実感しました。

 

ちょっとしたトリガーが生そのものを脅かすと思うと、これからもちょっと怖いです。

これまで学期をうまく終わらせることができないことが多かった私が、最後までやりきれることが少なかった私が、こちらでもまたそうなったらと、学期半分を終えてさらに恐怖とプレッシャーに苛まれている時に、それを打ち明けると、「それよりもまず生きることの方が大事だ」「何よりも死なないようにすること」を全力で考え、伝えてくれ、行動を共にしてくれたカウンセラーさんがいたから、これからも怖いけど、死にたくなったらちゃんと人に助けを求めるということはしてもいいのかもと少し思いはじめています。

 

「あなたが他の人に親切でいられるのに、あなたがあなた自身の最大の敵になり、あなた自身に親切にしないのは、あまりにアンフェアです」とカウンセラーさんから伝えられました。

そうか、アンフェアか。そうかも。

アンフェアなら是正しなきゃな、と思えた次第です。

 

 

最近ブログが悲しいものばかりです。そんな書いてもないですけど。

ハワイのいいことも、ちゃんと発信したいですね。もう少し、活力を取り戻せたら。

今は、大好きだったハワイを愛せる余裕もないです。

でも、そんな状態の私でも、ことあるごとに、大学も、この土地も、人も、素敵だな、と感じています。

 

今日は、授業の対話の中で、

「自分の中に問いが生まれると、問いがあることそのものが、自分の存在を肯定してくれるようで、すごく嬉しくて、でも同時に、問いが生まれた瞬間に、これを一人では抱えきれないとも感じて、とても寂しく、苦しみを感じる」

と言ったら、クラスメイトや先生たちにちゃんとわかってもらえて、「あぁ、存在しているなあ」と思いました。

今週のリーディング課題であるハイデガーの『存在と時間』第12節に苦しみながら、私は私の存在を、こうして確認しています。

ざーざー

「死にたい」という気持ち(suicidal ideation)にはactiveとpassiveがあるとこっちに来てから知りました。

まあ日本語で言えばactive suicidal ideationが自殺願望、passiveが希死念慮に近いでしょうか。

activeは具体的なアクションプラン(何を使って、いつどのように自殺しようか考えている)がある場合を言い、なんとなく、ただずっと「死にたい」気持ちがあるという場合はpassiveだと言うそうです。

 

人生の長い間、passive suicidal ideation が支配してきた自分にとって、今さらそれをすぐに変えることもできなければ急に消えることなんてないのもわかっています。
なので隠す気もないし、でもいつまでもその気持ちを言葉に出していると、人に嫌われるだろうとわかるから言うのが怖くて(死にたいのにずっと人に嫌われているのを恐れているってなんか本当に変ですね)、ただやっぱり消せないので吐き出したくてそれにまつわることを少しだけ書きます。

 

今日、

「どうしてあなたがずっと希死念慮を持っているかよくわかった。対処していかなきゃいけない問題が多すぎる。それだと、人生を終わらせたいという気持ちにもなるよね」

とカウンセラーに言われて、「ああ、そうだな、死にたいというより『この人生を終わらせたい』んだよな」と思い直しました。

死にたいと終わらせたいは人によっては同義でしょうか。

でも私にとっては微かな違いがある気がします。今はその微かな違いをここで明らかにしたいとは思っていないし、人によってもその感覚は違うでしょうが。

 

「死にたい」と言ってしまったり、思ってしまうと、「じゃあ死ななきゃ」「死に対して何か行動をしなきゃ」という気になって、生き続ける自分にさらに罪悪感や卑しさを感じてしまうことがあるけど、20代に入ってからの自分の希死念慮は、どちらかというと「もう終わらせたい」が近いなあと思います。

 

カウンセラーさんは、「まだ終わらせるには早い、まだまだあなたは自分の未来に対しても自分の可能性に対しても、知らないことが多すぎるから(まだ続けるべき)」と言ってくれました。

まぁそれはそんな気がします。

「あなたが悩んでいる問題と同じような問題で悩んでいる人はこの世界にたくさんいて、あなたが死にたいなら、他の人も死ななきゃいけなくなる、でもそうじゃないよね」と言われた時は、そういうことじゃない気がするけど、と思いながら「まあそれは間違いでもないしな」と思い、うん、と答えました。

なんかもっと、明るく、希死念慮について話してみたいです。

ざーざー泣きながらでも、明るく。

 

 

「死にたい」と「終わらせたい」の違い、「死ぬには早い」と「終わらせるには早い」の違い、特段大きなものではないかもしれないし、違いがあったからとしてなんだということ話かもしれないけれど、ああ、なんかちゃんと違うんだな、とだけ思ったカウンセリングでした。

 

私の右手首にはセミコロンの小さなタトゥーがありますが、それの意味を聞いてきた友達に意味を伝えると、

メンタルヘルスは超大事な問題だよね。
ホルモンとか化学物質とかが関係しているっていうけど、それだけじゃない。環境がどうしようもならないこともあるのにな。とにかく人生はマジでクソ。こんな最悪な世界じゃどうしようもないよな」

って言ってくれて、なんだか救われました。ちゃんとクソって思っていいんだなあって。

クソな世界を、クソな状況を、自ら変える努力をしないといけない、そう思わされてきたな、そういう圧力がちゃんとあったなと考えられました。
なんとなくその圧力に気づいていても、「治る努力をしなきゃいけない」「変える努力をしないといけない」と思うことに精一杯だったような。

でもさ、変える努力たくさんしてきたと思います。ちゃんと。やれることやってきました。

でも終わらせたいのだけは変わらない。だから努力至上主義とか自己責任みたいなのは間違ってるって自分もわかってきました。終わらせたい。

 

全然、遺書とかじゃないです。どんな思いでも書き残したいだけです。

ずっとやりたかったのだけど

ここ1年くらい、ずっとあることでYouTubeチャンネルを開設したいなと思いながらも、私はスキルもポジションも知識も特になければ、たとえやりたいことがあろうと、誰かにとって有益になり得るかわからない…と躊躇していたのですが。

 

先週、大学にあるビジネススクールが主催する、1分間で自分のビジネスアイデアをスピーチするイベントがありまして、私はフリーフード目当てで参加しました。

https://manoa.hawaii.edu/undergrad/mac/wp-content/uploads/2022/09/PD_IGPost_v2-1.png


別にスピーチしなくてもフリーフードはもらえるんだけど、まあ1分だし、やりたいことも実際にあるから参加してみるか…と割と軽い気持ちで。
運が良ければスピーチした人の中で抽選でNintendo Switch Liteかスピーカー、ワイヤレスイヤホンををもらえるそうだったので、お金に困っていた私は、見事当たればそれを売りたかったというのも大いにありました。(結局抽選は外れました)

 

実際に当日を迎えると、1分とはいえ、拙い英語でステージ上で話すのはかなり緊張したし、直前にはなんでこんなことやってるんだろう自分…と無意味な問いかけを繰り返して若干後悔したりもしているけど、やってよかったと、今は思います。

 

というのも、そのピッチ原稿を考えるにあたって、英語のクラスの先生に内容やグラマーを見てほしいとお願いしていたんですが、先生はもちろん親身にその相談に応えてくれただけではなく、しきりに「What a wonderful idea!!!」とか「your idea is REALLY AMAZING!」とか「I really loved your idea! Also, if there's anything I can do to help」とか言ってくれるんです。
私のアイデアはただのアイデアで、何も固まったものはないのにも関わらず。


今日も授業後話していたら、「マジでいいと思ってるよ私は」「あとは自信を持つだけ、今日からでもやりなよ、本当に!」と言ってくれて。

たった一人でも、自分のやりたいことを肯定的に捉えてくれて、しかも応援してくれて、それは本当に力になると思いました。

今まではアイデアだけで行動に移す勇気がなかったくせに、そんなに言ってもらえると、急に、「うん…そうだな…やるか…」という気持ちになりましたんで、力強い言葉を何度ももらうと、人はちゃんと行動してみるかという気になるんだな、と実体験から学んでいます。

 

まだ撮影もしていないし、今の私のYouTubeチャンネルにはサークル開設して一年たった時にサイトを使ってつくったテキトーなサークル宣伝ビデオしかないですが。

頑張ってここに動画を上げてみたいです、年内に。

引っ越し、失恋、ファーストセメスターが重なっている今の私にできるのでしょうか。でもやってみたいです。

 

www.youtube.com

 

よき先生をもつって本当に幸運なことだと思います。

よき先生にはよき先生の影響があったはずなので、今日はその素晴らしい先生と、「あなたに影響を与えた先生は誰」と聞いてみました。やっぱりいるんですね。

私にとっては自分の研究会の先生も大好きでたまらない先生なので、今度聞いてみます。先生にとっての、忘れられない、素晴らしい先生を。

秋と記憶

ハワイに来て、1ヶ月半。
大学の秋学期が始まってからは、1ヶ月が過ぎました。

 

この人から学びたいと思っていた先生の授業において、また再会できたことや授業を受けることになれた今の状況への喜びなのか、それともストレスフルな環境に逃げ出したくなったからなのか、自己紹介のタイミングで意図せず涙が出てきた、そんな学期初日から、4週間が経ち、いまだにこの新しい生活や環境に慣れないことばかりです。

ともかく円安が続きすぎているので、日々変わっていく物価に慣れるわけはないのでしょうか。

 

観光と生活はまったく違うのだなあと思いながらここまでを過ごしていました。

 

 

今日は、家から一歩も出ていないのですが、キッチンの窓から、ふわっと雨が降った時の匂いがしていたのに気づいたので、もしかしたら朝は雨が降ったのかもしれません。

概ね曇り空だったような気がします。

こちらはまだまだ夏真っ盛りで、最低気温22℃/最高気温30℃を毎日行き来しているような気候です。

 

夏からまだまだ遠ざかってなどいない、そんな今日、きのこ帝国の「金木犀の夜」とくるりの「東京」を聴き続けています。

私はあまり音楽をディグる力がなく、そもそも新しい音楽を聴くことが結構ハードル高いのであまりできず、昔から馴染んだ曲や、親しい人のおかげで知れた音楽をただ聴き続けるような音楽スタイルです。

そんなわけで、こっちに来ても洋楽を新しく知っていく気力もまだまだなく、日本で生まれた歌ばかり聴いている気がします。

音楽と一言で言っても、四季で表すのなら「秋」のような音楽がいちばん好きです。

 

こちらは夏が続いているというのに、どうして急に「金木犀の夜」のように、まさに「秋」のような音楽を聴きたいと思ったのだろう。もしかして、雨が降ったせいでちょっと外の香りが秋のようだったからだろうか。それとも、もう9月半ばに入って、これまでの身体の感覚から秋を思い出したからだろうか。


そんなことを考えては、身体の記憶や身体のさりげない感覚がちょっと愛おしくなりました。

 

私は金木犀の香りが大好きです。

ハワイには金木犀、あるんでしょうか。

留学準備記録(到着後)

忘れないように自分用メモです


渡航準備

※出発1日以内のPCR検査は不要になったタイミング

■在籍大学への留学届等書類申請

■パッキング

■別送品送る(本とノート類はほとんど送った)

■家の引き払い(この引越し作業がとてもとても大変だった)
↑ここら辺まで別記事にいつかする

■VeriFLY登録(JALから推奨)→接種記録は紙でもスムーズになる

■少し早めについて成田のパッキングエリアで重量確認&整理(確実に重量オーバーなのわかっていたので)
※家に体重計がなかったため

■I-20用意(ビザによって必要書類がVeriFLYとパスポートの他に必要なのですぐ出せるよう準備しておく)

 

別記事用メモ

荷物の重量オーバーなどで送れなかったが持ってこれず後悔しているもの


(実家がないので、本当に全部持っていきたかった。幸い、ほとんどを人に預かってもらっているが、泣く泣く手放すことになるor自分の裁量で管理できない本もたくさんある(泣)あればあるだけいいでしょう)
お皿(いちいちこっちで買うのもお金かかる。100均で帰るようなお皿が大体5-10ドル)
調味料(いちいちこっちで買うのもお金かかる、使っているもの全て送りたかった。また1から用意するとなると大変お金がかかるので、用意できておらず、そのせいで食事が自分としてはハード→心身にも影響)

 

在籍大学の手続きで困っていること(私費留学の場合)

・留学届は最大2年まで出せる(届けは1年間有効、1回まで更新可能=最大2年)

・休学届ではなく留学届にするメリットは、

①在学期間算入が2学期分(約1年分)あること

②単位認定があること(注意あり、後述)

③留学終了後即SFCの授業を受けられること(※SFCがセメスター制であるがゆえ、5月に留学が終わっても後半科目を受けられる可能性がある but学費は当然かかる)

④該当者のみ、卒プロ1を留学期間中に終わらせることができる

【②の注意】単位認定をしてくれるのは1年分までだし、ほとんどの場合多くて30単位、ほとんどの人が20単位行けばいい方らしい(学事に確認済み)で大体1学期分しか単位換算できない

・留学届にすると、休学とも違ってまったくお金がかからない!が、これは留学届を出して留学後、戻ってきて就学届を出した場合、所定の手続きを経た上で、留学届を出していた学期分の学費が返還されるというもの
→留学中は当然留学先の学費がかかる上、当面は慶應の学費も出さなきゃいけない(相当余裕ないとできないだろう…)

・私は円安のおかげでどれだけ留学先に在籍できるかわからないものの、編入生として留学するので、向こうでもし学士号取得できたら(学部生を終えられたら)、慶応に戻るかはわからないし、向こうで卒業できたからいいやと思ったら退学届を出すつもりでもあった→就学届を出さない限り留学期間中の慶應の学費は帰ってこないのでその選択をしたら無駄すぎる→休学の方がいい…?

※ここら辺は図示したほうが絶対わかりやすいので後日……頑張ります…

 

 

アメリカ(ハワイ州)入国

■入国審査までの流れ

※2022年8月2日の朝の話

・飛行機降りる→入国審査場まで行く(前回の2022年3月同様めちゃ空き。まったく並ばず。でも2020年度のコロナ流行前は列いっぱいに並んでいた)

・即終わる面接
👮‍♀️「なんできた」
👩「留学」
👮‍♀️「じゃあI-20見せて。で、どこ行くの(多分学校名聞いてる)」
👩「(都市だと勘違いして)え…ホノルル」
👮‍♀️「何学ぶの」
👩「Philosophy(I-20に書いてあるやろがい)」
👮‍♀️「Philosophy?ほーん。はい、どうぞ。Next!」

・荷物来るまでが時間かかります(時間待ちガチャ)私はだいぶ後の方。重かったからかな

・ダニエル・K・イノウエ空港、コロナ禍で個人用出口が長らくしまっており、団体出口のみから出る

飛行機到着が大体9:35で、空港出口出たのが10:05ほど。
荷物受け取りがだいぶ遅い方だった気がするので30分かかったが、飛行機降りるタイミング的に入国審査が前の方で、入国審査遅れ組と普通に荷物下ろすところで合流していたので、最終的には誰しも20-40分かかる?

 

 

到着後やったこと

■必要最低限の日用品、食材買い出し(到着日)

アメリカ用SIM申し込み(届くまで、事前に日本で買っておいた12日間の使用無制限アメリカSIMを期間限定で使っています)

■ F-1ビザなどを持つ留学生がやるVISAの必要最低限知っておくべきテスト(Googleフォームにて)受ける

ISSに必要書類(後述)を渡す日を予約する
※F-1ビザ持ちである自分がやることだと大学側に言われたことリスト

■大学に予防接種レコード出す(アメリカ医師資格を持っている人が大学指定のフォーマットで予防接種のレコード書かねばならぬ設定(それがないと授業登録ができない!→学生証の発行や学費の支払い、学費の支払いを分割設定にするなども×)なので、これをUniversity Health Services(以降、UHSM)に持っていって書いてもらおうと直接訪ねたら、コピーだけ取られて終わった。どうなるんだこれ。私もまだ分からぬ。 ※8/5時点)

■大学に保険契約書を提出(大学側の求める条件を満たすものでないといけないため※ 早めにやる、ギリギリはNO)

オリエンテーションの確認(オリエン参加のための参加登録に期限があったので、登録は事前に日本でやった)

■TBテスト(ツベルクリン検査)の申し込み(私はUHSMにて直接)

■予約通りTBテスト受ける(30ドル。当然陽性、多分次レントゲン)

■銀行口座開設(First Hawaiian Bankで。そこでの必要書類:パスポート、現住所確認できる書類、20ドル以上のデポジット ※I-20さえいらなかった。手続き開始から10分程度で終了。超簡単)

■毎日家計簿(スプレッドシートにて、「日付(リストで数字設定)」「買った場所」「品名」「種類(この種類によって色分けされるように条件付き書式設定)」「払い方(現金かクレカかデビットか)」「商品ごとの値段」「←の税込み価格(になるように設定)」「小数点繰り下げされた最終価格(Roundup関数)」を入力できるように)

 

 

これからやる予定のこと

□自転車入手(本当にほしい)

□学事の夏期休暇期間が終わり次第、留学届にしたものを休学届に変更できるか聞く

□TBテストの結果等 (多分レントゲン)

□予防接種記録どうなるんだ

□SIMが届いて、これから使う携帯電話が決まったら、学内システムの携帯番号の登録をし、銀行に携帯番号変更の手続きをしに行く

ISSにパスポートとビザ、サイン付きI-20、I-94渡す

□授業登録(プレースメントテスト次第で受けられる授業変わらない?変わるよね?)

□授業登録後、学生証発行

□学費振り込み(ここが今ピンチ)

□プレースメントテスト受ける

オリエンテーション受ける

□授業を受ける

□学校のカウンセリングを予約する

□学内バイトを探す

 

 

いつか知りたいこと

□学費の納入手順

□人と知り合ったり交わったりする機会どこにある?

□自分はどれくらいの勉強・休養・交流・アルバイトの時間配分になる?

□ピルを非営利団体 Planned Parenthood でもらう

□コンタクトなくなったらどうする?

睡眠薬はもらえる?いくら?

□学内バイト、どうやって見つける?

□学校で一年すごしてみたあとの奨学金等はチャンス増える?

□結局、慶應のは留学届と休学届、どちらにするのがよい?