私は髪を洗う時、シャンプーを2回する。
でも今日は、3回したかもしれない。
わからなくなる。
心地のいい、わからなさだった。
気持ちよく、わからなくなるのが、瞑想というものかもしれないと思った。
今日は久しぶりに大学を訪れた。
対面授業が久しぶりに再開され、数年前の活気に近い熱がキャンパスにこもっていて、なんだかずっと緊張していた。
すべての授業が終わって、友人らと会っている最中、ある先生が久しぶりに私の前に現れた。
その先生は、私が今の大学に来て、まずはじめに惚れ込んだ先生だった。きっと、私だけではなく多くの学生にとってそういう存在であった。
学ぶということの喜びを、学ぶということの意義を、その先生によってはじめて体感させられた、忘れ得ぬ先生である。
その先生の講義で学ぶことは、心の底から楽しくて、でも苦しかった。
よくわからないけれど、こんなに面白いからこそ、とても苦しいものだった。刺激的だから、まだ学びというものがよくわからない自分にとっては代償も大きかったのかもしれない。
それでも、食らいついた。
食らいつくしか、方法がわからなかったし、その時はそれでいいと思っていた。
週の半分以上、その先生の講義を聴き直す高カロリーな3年前の日々を、もう一度できるかと言われたら自信がないけれど、たとえ己が壊れてでもこの講義をものにしたいと思ったあの時の私は、変に強かったような気がする。
必死に食らいついて学んでいたあの時、学期の半ばに差し掛かったある日のこと。
先生は、講義直前に、ノートやパソコンを机の上に広げようと準備している私の近くにやってきて、「あなたはよく頑張っていますね」と言葉をかけた。
その言葉は、まだあの時の私がかけられてはいけない言葉だった。
でも、私はその言葉を受け取ってしまった。
その後も確か何かを言っていたけど、現実かわからなくて、よく覚えていない。でも、「あなたはよく頑張っていますね」だけは鮮明に覚えている。
その言葉をその先生から直接もらったのが嬉しくて嬉しくて、私は、学ぶ楽しさと同時に、その先生からの承認が欲しくてたまらなくなり、その先生のもとで学ぶほどに、私は、彼の目を見て話せる「同じ人間である私」を失っていった。
そこから今につながっていく自分を丁寧に文字に起こすと少しばかり長くなる気がするので、今はもう眠いからやめておくが、結果的には、いろんな人のおかげでその先生からの乳離れができるようになった。
こういうふうに、「結果的に」と書けるまでに、大体3年かかった。
3年かかって、今日、その先生の目を見て話せるようになった。
先生の目を見ながらでも、ちゃんと自分の言葉が、60%くらい出るようになった。
お話しする時間が楽しかった。
それまでは、ずっと怖くて、苦しかったのに。
楽しいと思える自分に、嬉しくなった。
今、その先生から認められたいとかは、あんまり思わない。
もちろんそういう言葉がふいにかけられたらそれはそれで喜ばしいんだろうけれど、別に求めていない。それより、ただその先生と話したいと思った。そんなことを思える日が来たことに驚きながら。
「あなたはよく頑張っていますね」と言われた日は、すぐに友人に伝えた。ツイートもした。
私の胸の容量はどうやら昔からすごく小さくて、良くも悪くも衝撃的なことがあると、その胸にしまうことが難しいから、すぐ何かに、誰かに伝えなければすまないような厄介さがある。
「あなたはよく頑張っていますね」も同様で、自分の胸だけにしまうにはエネルギーが大きすぎたのだった。
胸の容量が小さいくせに、あれから、また、「あなたはよく頑張っていますね」と言われたくて、自分のためなのか、なんのためなのかよくわからなくなりそうになりながらも、大学での学びを「頑張り」続けた。
その甲斐あって、その後も、その先生からそういうようなことを言われるようなことは確かにあったのだけど、言ってもらえたたびに、自己を見る目だけが厳しくなって、「もっと」頑張ることを己に求め、疲弊していった。
その学びの疲弊が、"意識的に"意識され始めた頃と同じ時期。
家族の問題が大きくなってしまって、私は昨年の夏に、父と同居していた家を出た。
自分の生活の基盤が揺らいでしまって、疲弊が大きくなりすぎた時には、もう、本を読んだり、一生懸命に考えることができなくなってしまった。学生なのに、望んで学生をしているはずなのに、学ぶことが、勉強が、難しくなってしまった。
こうして、文字を書くことも、自分の考えを整理したりまとめたりすることもほとんどできなくなってしまい、脳を使う大抵のことを私は避け続けた。
文字通り何もできなくなることが増え、何を頑張ったらいいかわからなくなり、すべてに希望を失うふりをして、そしてそれでも懸命に生きてみる姿勢を見せる茶番を自らの中で繰り返す。
もしかしたら私自身が自分が生きることを難しくしているのかもしれないけど、それにはちょっと目を瞑って、生きることが難しいのは環境のせいなんじゃないかと信じ込むことに決めた。
ここではない、別の、ただひたむきに好きだと言える土地に身を置こうとする努力だけはした。
その土地は、私に「何かをする自分」「何かをしようとする自分」ではなく、「その場にいる自分」をそのまま好きでいていいのだと教えてくれる場所だった。
そこは国が違うから、そう簡単に住むことはできないかもしれない。だから、学生の身分を使ってあそこに行くことに決めた。
3月の終わり、2年ぶりにその土地を訪れ、私はこれからそこで学生になるけれど、「あぁ、やっぱり、まずはここにいたい」と思った。
今日、久しぶりに、私にとっての忘れ得ぬその先生と話す喜びを知り直した時、「あぁ、楽しい。これがしたい。まず私は、楽しみたい」と思った。
入学当初から転けてしまって、友達もうまくできずにいた私だけど、今や、会いたい友人、話したい友人、もっと知りたい友人がこの大学にいる。その先生を含め、大好きでたまらない先生たちがいる。出会えてよかったと心から思う人々に巡りあえた。
その人たちとの時間を、楽しく愛でる、残りの3ヶ月間にしたい。
勉強のために大学にいるのは、今の私には厳しいものがあるけれど、大学で出会えた愛しい人々、尊敬する人々と関わるために大学にいたい。
それは、あるべき「学生」の姿から離れたものかもしれないけど、「教育」のあるべき形からはそう離れていないような気がしている。
私は大学という場が本当に好きで、どうにかずっと、大学と関わっていたい。
なんでかわからないけど、大学が好きで仕方がない。
今は勉強がしたくないけれど、大学にはいたい。大学という場にいたい。
大学にい続ける限り、私はずっと、さまざまな「教育」を眺めていられる。
今の私に勉強はうまくできないけれど、きっと、こういう形での教育との関わりがあってもいいでしょうと、そんな言い訳をつけて、この学校で楽しめることを楽しんでいたい。
そんな2022年の春学期だったと、のちに言えたらいい。